静岡みかんの歴史
奈良時代以前
伊豆地域の山野には橘が自生していましたが、生食用ではなく、花を楽しみ、料理の薬味に使っていたようです。
現在の自生の北限地:沼津市井田地区に自生地があります。
御前崎市白羽の「白羽こうじ」
室町時代から江戸時代に、果実が小さいが甘みの強い「こうじ」の一種、「白羽こうじ」が産出され、全国的に知られていたようです。
「こうじ」は、橘ゆかりの雑種とみられ、本県では「駿河柚柑(するがゆこう)」が知られています。
家康のお手植えの「小みかん」
徳川家康が、駿府城内(静岡市)に植えたと称される「小みかん」(紀州みかん)の樹が今でも残っています。
「寧波(にんぽう)きんかん」の渡来
文政9年(1826年)に中国寧波の船が遠州灘で難破し、清水港に船体修理のため寄港した際、三保折戸の名主、柴田権左衛門が世話をしました。その時、船員から砂糖漬けの果実を譲り受け、その種を播いたのが始まりといわれています。
温州みかんの発生と産業的発展
九州の長島地方で発生した温州みかんですが、静岡県では18世紀末から19世紀初頭にかけて(江戸時代中期文化年間の頃)岡部町の三輪に植えられたのが最初といわれています。
明治に入り、清水、沼津、三ヶ日など県内各地に栽培が広がり、全国的なみかん産地として発展しました。
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