あなたの「富士山物語」(幻の富士登山電車/三浦徳一)
幻の富士登山電車/三浦徳一
私は昭和二十四年四月静岡鉄道株式会社に入社した。会社の玄関に大きな社名の表札の横に、小さめの富士登山鋼索鉄道株式会社という表札が並んでいた。
昭和二十六年夏、会社の技術系幹部が富士山の視察に際し、カメラマンとして同行を仰つかった。当時、本社内にカメラの同好者でカメラクラブができたばかりで、私も仲間に入った。その内で一番若い私が選ばれたらしい。
一行は技師長、施設部長、施設部計画課長に私、ガイド役に富士宮市役所から若い職員が同行した。
具体的な内容は固ってはいないようであったが、裾野は地表を電車で、途中から山頂にかけては地中に潜って上る方式の様子であった。調査は二合目から山頂迄の富士宮口で二日間、表面の地形、土質や山小屋で荷上げの人達から主に落雷について聞きとりをした。
後年、スイスの観光でユングフラウヨツホの登山電車に乗った時、昔の富士登山鉄道の計画はこれだったのかと思い起した。当時は終戦後日も浅く、海外旅行は未だ皆無の時代、スイスアルプスの登山電車と同様の発想で計画し、会社を設立したことは画期的なことであったと思う。
富士山は単独な山で急傾斜、土質は火山灰土という条件の中での技術的な問題と、神聖な山と崇められているところに、果して許認可されるだろうか。素人ながらかなり難しい事だと思った。
その後この計画はどうなったのか、全く違う部署にいた私には分らなかったが、幻の如く立消えになってしまった。社内でも知る人は少なく話題にもならなかった。
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