しずおか文化財ナビ 東海道宇津ノ谷峠越(藤枝市 )
- よみ
- とうかいどううつのやとうげごえ
- 指定区分、指定種別
- 国指定/記念物 ・ 史跡
- 指定日
- 2010年2月22日
- 員数
- 所在地
- 静岡県静岡市・藤枝市
- 一般公開有無
- 有
- 駐車場の有無
- 無
- 公開情報
所有者情報
- 藤枝市外
文化財の説明
東海道は、江戸時代の五街道の一つとして、江戸と京都、さらに大津から分かれて大坂に至る江戸と大坂を結ぶ幹線道路であった。
宇津ノ谷峠は静岡市と藤枝市岡部町との境に連なる標高約300mの山陵、通称「宇津の山(宇津ノ谷山)」の鞍部(標高162m)に位置する峠である。
この山並みを越える道の歴史は古く、少なくとも奈良時代には主要な道筋となっていたものと推定される。『伊勢物語』に「つたかえては茂り」とみえ、蔦の細道として広く知られる道もそのひとつである。
永禄3年(1560)の今川義元の西上や天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めなどでは、現在残されている宇津ノ谷峠越の道が使われ、慶長6年(1601)の東海道宿駅制度の確立により、近世を通じて東海道としての利用がなされた。峠は日本橋から数えて20番目の丸子宿と21番目の岡部宿との間に位置する。
明治9年(1876)、峠の真下を通る隧道が開通したが、有料であったために当初は宇津ノ谷峠越の道を利用するものも多く、隧道が崩落し明治29年から36年までの不通の間も峠道の利用は盛んであった。その際修築された煉瓦造の隧道は「明治宇津ノ谷隧道」として国登録有形文化財に登録されている。その後、自動車の普及に伴って、宇津ノ谷を抜ける隧道が次々と整備され、峠道は利用されなくなっていった。
歴史の道としての注目は、昭和50年代に実施された静岡県教育委員会による歴史の道総合調査事業が大きな契機となった。平成10年度に東海道についての歴史の道整備活用推進総合計画が策定され、平成11年度から16年度にかけて歴史の道整備活用推進事業による静岡市教育委員会と岡部町(現・藤枝市)教育委員会による発掘調査や崩落土砂の除去、説明板の設置等が行われ、多くの人々がハイキングを楽しめる環境が整った。
峠の東側麓に宇津ノ谷の集落があり、間の宿の面影をとどめている。集落内の道形は一部を除いてほぼ確定でき、インターロッキングによる舗装修景が施されている。かつて茶店で商われていた十団子は慶龍寺(天正6年開基。明治42年に峠の地蔵堂の本尊が移された)の地蔵盆において参詣者に配られる。峠には『東海道分間延絵図』にみえる石垣を有する地蔵堂の跡があり、発掘調査で二間四方の建物とともに、それに先行する一間四方の建物が検出された。江戸前期と考えられる『東海道図屏風』に描かれた祠に相当し、地蔵信仰の隆盛とともに建物の規模が大きくなったものと推定されている。石垣は上下二段からなり、上端の幅が約12m、上下段合わせた高さが約6.4mある。峠を西に下ると県道により道形が追えない箇所があるが、さらに進むと旧状をよくとどめた区間がある。途中、天保6年(1835)に再興された「ひげ題目碑」が左手山側に建つ。石垣により段地形を造り出している。
我が国近世の交通の歴史を知るうえで重要であることから、近世東海道のうち、宇津ノ谷峠を越える全長約1.25kmの区間のうち、間の宿の雰囲気をとどめる宇津ノ谷集落内の道と往時の道形が良好に残る合計約1kmの道と、それに関連する地蔵堂跡、ひげ題目碑を合わせて史跡に指定し、その保護を図ろうとするものである。
地図情報
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