第6回伊豆文学賞 審査委員選評

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ページID1044432  更新日 2023年1月11日

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前途洋々?

杉本 苑子

今回、厳密な審査をへ経て、最終審査に残った作品は十編。その内の『夏の終わり』に、私は最高点をつけた。
伊豆文学賞も年を重ねるごとにレベルがあがり、実力伯仲する優秀な作品が・・・しのぎをけずり合うといううれしい様相を呈してきつつあるが『夏の終わり』を一位入選とすることに、異議をとなえる選考委員は一人もなく、スムーズに最優秀賞の決定となったのは喜ばしいことだった。
ただし、この作品にも問題点が無くはない。たとえば冒頭の書き出し三行目に「イシは不自由な足を引きずりながら、前を歩く姉のハツに呼びかけた。ハツは前を行くハナとミチに気を遣いながらも振り返り、大丈夫だよとでも言うようにイシを見ながら頷いた」とあるが、たったこれだけの字数の中に四人の女性を登場させ、しかも彼女らの名が四人ともに片カナなのは、まず・・・のっけから読者を混乱させる。いささか配慮に欠けた書き方と言わざるをえない。「前を歩く」「前を行く」と短い文章の中に重複が見られる点なども、目のきびしい読み手には、首をかしげられるむぞうさ無造作さではあるまいか。
二位を獲得した二編のうち『もね百音の序曲』は、温泉町に依存して生きる庶民のくらしを、百音という少女を介して活写した興味ふかい作品で、終りまで読む側をひきつけ続けた。なかなかの力量といってよい。しかも『夏の終わり』がパート勤めをしておられる五十四歳の女性、『百音の序曲』が、これまた六十歳の無職の女性と、あとになって聞かされて、われわれ選考委員は驚いた。「熟年パワーもなかなかなものですな」と意を強くし合った次第である。
同じく二位の『黒鼻ホテルの小さなロビー』、また三位入賞の『しじみ蜆の唄』『伊豆の仁寛』の三作は、いずれも作者は男性だが、やはり六十代、七十代、最年少が五十一歳という熟年層……。若さの熱気で押し切るのも悪くはないが、それぞれに人生の荒浪をかいくぐり、能力いっぱいに生き抜いてきた人たちの底力は、なみ並のものではない。伊豆文学賞の応募作品にも、あきらかにそれが現れていると知って、私は無性にうれしく、一方、若い才能の払底に、いささか暗然とさせられもした。
惜しくも今回は賞を逸したが、選者の手許にまで登ってきた候補作は、いずれも力作揃いであった。いま少々、応募者の年齢に「若返り現象」が見られれば、伊豆文学賞の前途は、さらに洋々たるものになるはずなのだが……。

目移りはしたけれど…

三木 卓

今年はおもしろい作品が多くて目移りして困った。が、実はそれは必ずしもおめでたいということではなく、圧倒的な決定力をもつ作品がなかった、ということでもある。
最優秀賞の長田恵子さん「夏の終わり」は、読後のすがすがしい印象が心に残った。まだ丹那トンネルができる前の時代に、河津出身の足の悪い娘のイシが、須走口の冨士講登山の宿で、一夏を季節労働者として働きおおせ、生きる自信をつかんでいくというものだが、赤い鼻緒の下駄をはくことや、氷砂糖のすばらしさなど、日常の小さな幸福を喜ぶ娘の庶民の女らしい慎ましい気持がいきいきと描かれているところなど、とくにわたしはうれしかった。こういう人々が過去に生き、働いていた、ということを、感じさせる。文学的な野心というものを感じさせない筆致が、この題材を生かしていると思った。
優秀賞の鈴木ゆき江さん「もね百音の序曲」は、春のお弘法さん祭りが背景になっている。ヒロインの百音は、父も、母も、兄、姉も盲人なのに、彼女だけはそうではない、という特異な設定にまず心をひかれた。そういう立場にあるこの娘は、自分がある垣根の内側に生きているという意識を抱いていて、その内側に親近感を抱いたり外側に関心をもったりする思春期をすごす。すでに離婚している母親のもとにいって、そこで母親と会う場面は印象的で美しい。またその垣根の意識を描く場面も自然な展開になっていて、わたしはおもしろかった。後半は、もう少し考えたい。
同じく優秀賞の山本恵一郎さん「黒鼻ホテルの小さなロビー」では、ぼくという少年の語りの文体に惹かれるものがあった。母親(母ちゃ)が、怒って掃除機をこわしてしまうところなど、なかなか壮烈で愉快だった。自動販売機の故障さわぎもおもしろかった。だが、この作品も後半が一考を要する、と思った。
佳作の中村豊さん「蜆の唄」では、他者を許す老年の心が気持よく受け入れられた。同じく佳作の桜井寛治さん「伊豆の仁寛」は、おもしろいところに目をつけたが、邪教の日本代表ともいえる真言立川流を扱うなら、宗教が内抱する、とめどもない恐ろしさをぬかすわけにはいかないのではないか。これはあまりに美しく立派で、影がなさすぎる。

粒ぞろいの候補作

村松 友視

最終審査に残ったのは五作品、この中で最高得点を集めたのが「夏の終わり」で、けっきょくこの作品が最優秀賞となった。須走の富士講の宿へ働きに出た十九歳のイシの、ひと夏の体験が描かれ、その中からイシのたくましさ、素直さ、やさしさ、おとめ心がよく伝わってきた。出会った吉三の突然の死、その吉三につくってもらった赤い鼻緒の下駄も、ひと夏のものがたりの中で生きている。いや味のない文章で、素直に読むことができる、物語がもっともくっきりと浮き出た作品だった。
次に、佳作の二篇が決った。「蜆の唄」は、作者の知的水準はもっとも高いと思われるのだが、それが逆に作品をはみ出すマイナスにも仂いてしまった。詩を書く主人公と作者自身の未分化が、その大きい原因だと思った。そのため、妻を失った男が想う世界が、小説として構築しきれていない印象が生じてしまった。惜しい作品だ。
「伊豆の仁寛」は、誠実な取材、資料の下敷を感じさせ、好感がもてた。選考委員の一致した意見は、真言立川流に対するイメージの物足りなさだった。のちに真言密教の流派の中で“邪教”とされた真言立川流があまりにも清らかな面のみで語られ、小説としてはやや平板な感じを与える。“邪教”と称された流派を前提とし、実はその奥にこの作品で描かれたような本質があったのだというかたちを加えていれば、作品の説得力は倍化したのではなかったか。
優秀作「百音の序曲」は、自分にだけ美しい端切れを与えなかったのが、母が娘に課したきびしさではなかったか……という百音の思い方に、ちょっと物足りなさを感じた。しかし、随所にきらりと光る描写もあり、小説としての地道ないとなみを感じることができた。もう一篇の優秀作「黒鼻ホテルの小さなロビー」は、語り手である「ぼく」の、語っている時点での年齢がつかみにくく、その影響が全編にかぶさって作品の弱点となっていた。しかし、「ぼく」の感性があざやかに表われた箇所がいくつもあって、小説を書くのにふさわしいセンスを身につけた作者だという気がした。
六回目となって、応募作品の水準が高くなってきたのはうれしい傾向だ。そのため、最終選考における各委員の意見の交換も、きわめてスムーズに行われた。やはり、賞はつづけるものだ……という強い思いが、今回の余韻として残った。

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