しずおか文化財ナビ 吉田松陰寓寄処
- よみ
- よしだしょういんぐうきしょ
- 指定区分、指定種別
- 県指定/記念物 ・ 史跡
- 指定日
- 1941年10月27日
- 員数
- 所在地
- 静岡県下田市蓮台寺300-1
- 一般公開有無
- 有
- 駐車場の有無
- 無
- 公開情報
- 随時 午前9時-午後4時
所有者情報
- 下田市・村山嘉則
- 〒415-0031 静岡県下田市蓮台寺300
文化財の説明
【指定資料】 嘉永7年(1854)3月18日ペリー艦隊を追って弟子の金子重輔とともに下田に来た吉田松陰は、皮膚病治療のため、たまたま訪れた蓮台寺の共同湯で、村医者の村山行馬郎と知り合い、その好意によって数日間寄寓した。昼夜を問わず海岸に出ては、ペリー艦隊の様子をうかがい決行の準備をした。
【紹介資料】 嘉永7年(1854)3月18日アメリカのペリー艦隊を追って下田に到着した吉田松陰、金子重輔は、役人の目を逃れるため変名を使い岡方邑(現在の下田市4丁目付近)の岡村屋に宿泊し、アメリカの軍艦に便乗する機会を伺っていました。
当時皮膚病を患っていた松陰は、温泉による治療のためこの蓮台寺を訪れ、共同湯(上の湯)で夜を明かそうとしていました。そこで偶然村医者の村山行馬郎と知り合い、その好意によってしばらく村山邸に身を寄せることになりました。
松陰等は3月27日深夜柿崎の弁天島付近から小舟を出し、アメリカの軍艦に漕ぎつけて便乗させてくれることを熱心にお願いしましたが、断られてしまいました。
企ての発覚を覚悟した松陰等はいさぎよく自首し捕らわれの身となり、4月11日唐丸篭で天城山を越え江戸伝馬町の獄へ送られました。
ここ吉田松陰寓寄処には、松陰の居間として使われた二階の天井の低い部屋(隠れの間といわれる)や掘り下げられた内湯の浴槽等が当時のままに保存されており、松陰が使ったと伝えられる机や硯箱とともに当時の面影を残しています。
(静岡県教育委員会1997『静岡県文化財ガイドブック 中世以降の史跡』より)
地図情報
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