第21回伊豆文学賞 入賞作品あらすじ(作者自身による作品紹介)

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ページID1044362  更新日 2023年1月11日

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(1)小説・随筆・紀行文部門

最優秀賞 「鋳物師七郎左衛門」

家康の御朱印を得て、駿遠両国の鋳物師を支配していた森町の山田家だったが、その後ろ盾をなくし、明治の半ば頃には昔日の面影をすっかり失っていた。

それを運命として受け入れ、最後の七郎左衛門として、山田家の幕を下ろそうとしている父に信介は強く反発し、新たな七郎左衛門を目指して上京。開校したばかりの東京職工学校に入り、卒業と同時に独逸へ留学した信介は、最先端の技術を身に付けて帰国する。

司法省や日本銀行本店の屋根を手掛けるなど活躍を続ける信介に、ある日、四天王寺から、世界一大きな梵鐘を作って欲しいという話が舞い込む。

鋳物師を捨てた信介である。直ぐさま断ろうとするが、その時ふと浮かんだのは父のどこか寂しげな横顔だった。相談した父の目が一瞬輝くのを感じた信介は、父とともに世界一の梵鐘作りに取り組もうと決意するのだった。

優秀賞 「都田川堤」

七十一歳になる和江は、三十七歳の息子大輔と二人暮らし。優しく母思いの大輔だが、社会に適応できず、職を転々としている。夫運も悪く、苦労し続けてきた和江には、大輔だけが喜怒哀楽すべての元になっていた。

和江の唯一の慰めは、浜名湖畔の都田川堤を毎朝散歩し、湖の景観や四季の草花を愛でることだった。

ある日、散歩の途中転び、軽い怪我をする。援けてくれたのは、堤防で毎日出会う幸子という大輔の小学校の同級生だった。幸子は和江の散歩を堤の隅からこっそり見守っている大輔と、和江の知らない間に親しくなる。二人はやがて結婚の約束をし、大輔も定職に就き、家を出ていく。当初、置き去りにされた寂しさは耐え難いほどの和江だったが、しだいに落ち着いていく。

丘へ登り、富士に大輔のこれからの安穏を祈り、街をふかんし、生きる支えになってくれ続けた堤の草花に感謝する。

佳作 「海風」

山下信正は伊東の出身だった。軍国少年として海軍兵学校に入学するも在学中に終戦を迎える。挫折というより、深い喪失感を抱きながら、原爆被災の広島を後にした。故郷への帰省の車中で赤痢を発症、また肺結核にも罹っていたことが分る。途中大垣で降り、療養をする。信正の家系はキリスト教の説教師だったが、信正はそれまであまり熱心に信仰してこなかった。偶然にも大垣で叔母の信者仲間の美智子と知り合い、結婚し、気象庁に入って主に静岡県内の官署を異動した。そして二人は一人息子を伊豆大島で亡くすなどの悲運に見舞われながらも、信正が逝くまでを静岡の地で暮した。美智子は月に一度の伊東にある信正の墓参りをしながら、その途上で今も胸に居る信正と言葉を交わすのだった。信正は海風となって、そんな美智子の傍に居るようだった。

佳作 「志戸呂からの囁き」

伊豆高原で暮らす栞は十七歳。母親代わりの祖母が末期癌で入院した。不仲な父と二人取り残される不安に怯えつつ、祖母の看病と家事に奔走する多忙な高校生活を送っている。

ある日、栞は祖母の昔語りを聞き、祖母の人生の心残りを晴らそうと決意する。五十年前、染色家を志していた祖母が、かつての想い人、藤野に贈ると約束しつつ、結局果たせなかった茜色の手拭い。それを届けようと。

藤野は、金谷に住む志戸呂焼の陶工だった。

栞は電車で金谷へ向かった。藤野の工房を訪れると、素性を隠して藤野から陶芸の手解きを受ける。作業が終わる頃、素性を告げ、手拭いを渡した栞に、藤野は五十年前の真相を語る。本願を全うした栞を駅で待っていたのは、冷戦状態の父だった。激しい口論の末、十年越しに明かされた父の真意に葛藤する栞。

伊豆から金谷へ、移りゆく静岡の壮大な美景を背に、祖母の青春を辿りながら紡ぎ出される父娘の再生と、十七歳の成長の物語。

(2)メッセージ部門

最優秀賞 「私たちの忘れもの」

中学一年生の夏休み、私は浜松市天竜区春野町を訪れた。青々とした森の中にぽつりぽつりと民家が見える春野町の景色は、孤独や寂しさを感じさせるはずだが、帰り道に私が感じたのは人の温かさと不思議な充実感だった。一見、人と人とが共にくらしているように見える市街地では感じられない温かさが、なぜ春野町にはあるのだろう。春野町の景色やそこに住む方々との交流を通じて私が受け取った「メッセージ」としてつづった。

優秀賞 「沼津の伯母さん」

「お寺さんに寄って私の茶断ち、蜜柑断ちを解いてくれるようオッサマに頼んで欲しいのよ」――病床の伯母の思いがけない頼み事。神仏に祈る以外どうしようもない土壇場で、好きな何かを断つのが伯母の流儀だった。

その伯母の葬儀。お線香と菊の香に混じって甘酸っぱい香りが微かに立った。母(九人兄妹の最後の生き残り)が庭でもいだ蜜柑を一つ、さりげなく服の袂から出して入れたのだった。

優秀賞 「田宮虎彦の富士」

作品には天涯孤独の杉原という男と波江という女が描かれる。作家は波江の身の上は語っているが、杉原のことは何も言わない。ただ、杉原は富士を見にゆくことだけが、まるで人生そのものであったかのようだ。ことさらなストーリーはない。ひたすらに杉原のその見えない心をのみ作者は描いている。私もいつのころからか、富士を見るとはこうしたことなのかも知れない、とおもうようになった。富士の美しさに近づくために。

優秀賞 「駿河湾からの激励」

高校一年の時の私は親との喧嘩やテスト勉強などの悩みを抱えていました。そんな私を姉は田子の浦港へと連れ出しました。田子の浦港でとれたしらすを食べながら、雄大な駿河湾を眺めたときの感動は忘れられません。駿河湾から吹く少し強めの風は私の背中を押してくれているかのようでした。駿河湾の雄大さ、田子の浦港でとれる新鮮な海の幸は、私の大好きな静岡県の魅力の一つです。私が駿河湾から受けた激励を他の人にも感じてほしいと思います。

優秀賞 「志戸呂の声 綺麗寂び」

遠州七えんしゅうしち窯よう、志戸呂焼は家康公から御朱印状を授かり、将軍家御用窯となって名を馳せた。

私は幼い頃から祖父と志戸呂焼を作陶した。

祖父は遠州流の茶道家だ。茶席を飾る絶滅危惧種の茶花も、世界農業遺産認定の茶草場農法が遂行される志戸呂の茶園では見られる。

遠州流茶道の真髄は綺麗寂び。祖父は言った。

「志戸呂焼は素朴だが、確かな存在感を放つ。志戸呂焼の如く謙虚さを忘れず、芯の強い心映えの美しい人になれ。目指すは綺麗寂びだ」

優秀賞 「佐鳴湖の思い出」

「佐鳴湖」は古くから浜松の西に位置する小さな湖である。近隣の人々にとって憩いの場であるこの湖は、私にとっても幼い頃から楽しい思い出を多く残す所である。また湖から広がる山や田畑、その中を流れる川は子供のまたとない遊び場であった。四季おりおりの景色の中で子供ながらに思い切り体を動かし心を弾ませ、一生懸命に自然に溶け込むかのように躍動する。かつての風景を思い起こすと懐しさで不覚にも目の前が曇ってしまう。

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