駿河湾の文化
駿河湾は、富士山とともに、はるかな昔から多くの人々に愛されていました。
16世紀初めの絵師、狩野元信の「富士参詣曼荼羅図」には、富士山と駿河湾が一体となって、生き生きと描かれています。
日本最古の歌集や浮世絵で知られる田子の浦
7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本最古の和歌集「万葉集」には、山部赤人(生年不詳-736)の「田子の浦ゆ うち出てみれば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」と歌が残されています。これは、駿河湾の中央にある田子の浦から見た富士山の絶景をたたえたものです。また、18世紀の有名な浮世絵師「葛飾北斎(1760-1849)」の「富嶽三十六景」にも、 田子の浦からの富士山が生き生きと描かれています。
浮世絵に描かれた薩埵峠
葛飾北斎と並ぶ、高名な浮世絵師「歌川広重」も、駿河湾を愛しました。彼の作品集「東海道五十三次」には、東海道の難所である薩埵峠からの駿河湾が描かれています。駿河湾の沿岸は、昔から江戸と京都を結ぶ交通の要衝として、人、物、文化などが行きかい、発展してきました。そのため、周辺には、史跡・旧跡などが数多く残されています。
徳川家康公が眠る、久能山からの駿河湾
1603年に江戸幕府を開いた将軍、徳川家康(1543-1616)も駿河湾の絶景を愛した一人です。
徳川家は、その後約250年もの間、日本の政権を担い、世界でも類を見ない、争いのない、長期にわたる平和で安定した時代を築きました。この家康の墓所は、彼の遺命により、駿河湾を一望できる、国宝久能山東照宮にあります。
ちなみに、久能山東照宮と、駿河湾西端の「御前崎」、東端の「石廊崎」を結ぶと正三角形になり、「風水」という東洋の占いの重要なエリアとなります。家康がこの地を墓所に選んだ理由にも、この「風水」が関わっているとされています。
伝統行事の舞台となる海
駿河湾は伝統行事の舞台でもあります。
一年の大漁と安全を願う大瀬神社の例大祭では、船上で女装した男達が踊る奇祭が行われています。また、寒中、身を清める神事なども湾岸の各地でみられます。 人々の心のなかに、畏敬の念とともに、駿河湾は息づいています。
地域の食文化を育む、恵みの海
駿河湾は、地域の食文化にも大きな影響を与えました。サクラエビ、シラス、魚のすり身でつくった黒はんぺん、アジの干物など、様々な特産品が生まれています。
またその恵みは、様々な郷土料理にも使われており、静岡県の豊かな食を支えています。
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