新車両基地埋蔵文化財発掘調査(西通北遺跡)概要
溝跡の上端や底面からは、古代の土器がまとまって出土しました。壷(つぼ)・甕(かめ)・_(わん)・皿(さら)といった土器が割れてしまった状態で見つかりましたが、その中には割れた破片を繋ぎ合わせれば完全な形になるようなものが何点も含まれています。このことから、これらの土器は川の流れなどによって、この地に流れ着いたものではなく、周辺で生活していた人々が捨てるなどして残していったものだと考えられます。この地で古代の人々が生活を営んでいた証拠と言えるでしょう。
第三小諏訪踏切西側の発掘調査によって平安時代を中心とする遺構(いこう)や遺物(いぶつ)が出土しました。しかし、旧石器時代の石器や縄文時代の縄文土器などは一切見つかっていません。
旧石器時代人が生活していた10,000年前頃には、現在の愛鷹山南麓にまで駿河湾の海水が深く入り込み、現在の沼津市域のほとんどは海中に没していたと推定されています。西通北遺跡周辺も3,000年前頃までは海で、縄文時代人が暮らせるような陸地はありませんでした。この地が陸地になり、人々の痕跡が認められるようになるのは、今から2,000年前の弥生時代になってからです。
古墳時代を経て、奈良時代や平安時代の頃には、沼津市域でも人々の活発な往来がおこなわれたようです。今の沼津駅北口付近には古代の役所(駿河国駿河郡)が置かれていたと考えられ、役所と役所の間を結ぶ官道(かんどう)として古代の東海道が西通北遺跡の近辺を通っていたと推測されています。古代には遺跡周辺で多くの人々が往きかっていたことは確かでしょう。
土師器(はじき)
素焼(すやき)の土器で、触った感触は柔らかく色は赤っぽいです。
須恵器(すえき)
土師器(はじき)とは異なり、窯(かま)の中に入れて高温で焼かれた土器です。土師器(はじき)よりも堅く丈夫で色は青っぽい灰色をしています。
灰釉陶器(かいゆうとうき)
植物の灰を主成分とした釉薬(うわぐすり)をかけて高温で焼いた陶器(とうき)です。きめの細かい粘土によって作られ色は白っぽいです。
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