第8回伊豆文学賞 入賞作品のあらすじ
最優秀賞
『月ヶ瀬』 (小説) 萩 真沙子 東京都文京区
終戦の翌年、職業軍人だった父は職も住まいも一切を失い、母と私たち子供五人を連れ狩野川ほとりの村・月ヶ瀬に帰ってきた。
一人息子を喜々として迎え、そのまま伊豆に定住してほしいと願う祖母。一方、異文化地にどうにも馴染めず、脱出を望み続けた母。幼かった私が子供心に常に気がかりだった二人の悲しい確執。
村全体を敵にまわした母の孤独な戦いは、八年後父が東京に職を得ることによりようやく終了した。祖母を残し一家は伊豆を離れた。
それから十数年の後。父が定年の際帰郷より東京での再就職を選んだ時、母は自ら伊豆に戻り姑を世話する決心をする。
そして長い介護生活の末、今、祖母の最期の時が近づいていた。意識がなかった祖母が、突然村中に響き渡るような大きな声で叫び続けるのを、私は間違いなく聞いた。
「おかあさん!ありがとう!」
祖母と母の関係は、半世紀もの長い時間をかけて、最後にこういう形で終わった。
祖母の死。私のお腹に宿る命。狩野川のほとりで、家族の歴史もゆったりと流れゆく。
優秀賞
『曲師』 (小説) 志賀幸一 浜松市
「浪曲の三味線弾きの芸」を取材するために、私は伊豆戸田村に住む沢崎志津子を訪問した。七十歳を過ぎた志津子は意外に若く、まだ現役で充分通用する曲師のように見えた。
志津子の夫は東京の寄席で活躍した浪曲師広田小繁だが、声を潰して零落し旅先でみじめな生涯を終えた。志津子はその原因が自分のへたな三味線のせいだと悟り、懸命に芸を磨き小繁に尽くしたが、その執念のような復活の夢は叶わなかった。せめて夫が帰りたくて帰れなかった故郷の戸田村で、老いた義母に孝養をつくそうとここに家を建てた。
私はその長い顛末をつぶさに取材し、芸というものの厳しさ苛酷さ、その人生の哀歓の深さを痛感した。
取材の後で、志津子の裏芸ともいうべき「弾き語り」を聴くことになったが、その途中で志津子は涙とともに絶句し三味線の音も切れた。甦ってくる傷みの日々。夫への哀惜や無念の想いが胸につきあげてきて耐えきれなくなったのだ。
『ヴォーリズの石畳』 (小説) 鎌田雪里 埼玉県所沢市
1805年米国人英語教師W.ヴォーリズは軽井沢への道すがら下田へ寄り、そこで出会った依村譲一の村へ行く。教会がある、外国人が大勢いると聞いたが村は貧しく、米国人と芸者の混血である依村は、同じ混血の村の子らをヴォーリズにけしかけ、神を罵倒する。
廃屋めいた教会は彼等の父親である領事館の米国人達の寄進によるものだった。ヴォーリズは宿を乞うた依田佐二平と信仰について話す。正しい願いはかなうという彼に、依田は村のために祈ってくれとふっかけ、彼は強く祈り、翌日教会の草刈りへ行き、石畳を見つけ、村を後にする。
軽井沢の牧師が寄付による教会復旧を示唆し、彼が実行すると、教会維持のため村はまとまりはじめ、依田の助力もあり美しい街へと変貌する。後に判明したのは、村の先祖は百年前オランダ経由で日本へ逃亡してきたフランスの貴顕たちで、教会や石畳は彼等の手によるものだということである。ヴォーリズは最晩年に依村との再会をはたす。
佳作
『母子草』 (小説) 杜村真理子 東京都中野区
安永五年下田に麻疹が流行り、妊った嫁の赤子が次々に流れた。麻疹が疫病神の仕業でなく染(うつ)る病で、離島なら感染せず子も助かると知った問屋の若嫁芙佐(ふさ)は、幾山波(いくやまなみ)に守られた南伊豆の里々(さとさと)を思いつく。誠実な夫の口添えで湯治を願い、蓮台寺温泉から加納の実家、長津呂(ながつろ)と、春から夏の美しい峠を越え、芙佐は麻疹から逃げる。義妹の嫉妬と誤解から夫の文が絶え、幼なじみの幸(さち)と純朴な漁師良太や弟に助けられるうちに、芙佐は幼い日から良太を想っていたと気づき苦しむ。秋が来て子が生まれ、夫の誤解は良太が解くが、弟は良太と姉が結ばれることをずっと願っていた。
亡き祖母の母子草(ははこぐさ)に寄せた言葉とともに、いつも芙佐を支えてきたのは、良太と眺めた水平線の記憶だった。良太の真心、夫の訪れ、優しい義母の文、心揺れながらも、子に乳を与えるときだけ生きた心地のした芙佐は、人々の温かな想いに包まれ、我が想いは母子草に託して、母として生きてゆく心を決めた。
『埴輪の指跡』 (小説) 川正敏 静岡市
父の転勤の繰り返しで、伊東から西伊豆の村に引っ越した。その松崎の地で待っていた生活は、転校先での仲間の冷たい仕打ちや怪我をした足裏の手術での痛みである。冬の季節風の西風が吹きつけ始め、入学を楽しみにし、学校のようすを聞く妹が風邪をひいた。
その妹の林檎を盗み食いしてしまう。数日後の夜、妹に母乳の代わりにヤギの乳を飲ませるために飼い続けたヤギの夢を見る。ヤギの鳴き苦しんで死んでいった事や、無造作に谷底へ死骸を落とした場面を回想し、眠りに落ちる。
その夜妹は息を引きとる。妹を荼毘に付す焚口の前で妹の林檎を盗み食いした事が取り返しのできないことであることを初めて知る。成人して発掘調査員になった僕は、古墳時代の円筒埴輪に残されていた幼児の指跡を発見し、自分の過去の痕跡と、妹の生きた痕跡とを重ね合わせて僕の脳裏に巣くっている妹への悔恨と自己嫌悪を引き出される。生の痕跡を改めて僕自身が認識する。
特別賞
『若山牧水の山ざくらの歌と酒』 (紀行文) 伊藤正則 磐田市
天城の山と渓谷と温泉の大好きな私は、毎年何回か伊豆を訪ねている。伊豆の魅力は、豊かな自然に加えて、人情味あふれる人々と歴史と文学の舞台となった風土にある。
伊豆に滞在、あるいは旅した数多くの文人とその作品のうち、私を魅了してやまない歌人が若山牧水。なかでも「山ざくらの歌」が好きだ。山ざくらの歌二十三首は、牧水の円熟期、大正十一年春、伊豆湯ヶ島の湯本館に滞在して得た大作。牧水の代表作に数えられるだけでなく、桜の文学が語られるとき、必ず引用される名歌である。
そんな牧水の山桜の歌の舞台、旅を追体験して、彼の歌の真髄に触れてみたいと旅に出た。湯ヶ島では天城屋の浅田富子さんから、牧水の愛飲した酒「天城」を復活させるまでの苦労話も聞くことができた。旅、酒、富士とともに、桜の歌人といわれるようになった「牧水の風景」と一体化した、伊豆・湯ヶ島の至福の旅をあるがままにつづった紀行文的エッセイである。
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