県の歴史と昔話 静岡県の昔は?
静岡県の歴史(れきし)
登呂遺跡が語る太古の歴史
静岡県には、大昔の石器時代(せっきじだい)や縄文時代(じょうもんじだい)から多くの人が海や川の近くに住んでいました。弥生時代(やよいじだい)には水田を作りやすい場所に人が集まるようになりました。静岡市にある登呂遺跡(とろいせき)は、そのころの村や田んぼの跡です。
古墳(こふん)時代や奈良(なら)、平安(へいあん)の時代には遠江(とおとうみ)の国、駿河(するが)の国、伊豆(いず)の国と呼ばれ、各地に神社や寺が建てられました。この3つの国の名前は、それから長い間使われることになりました。
静岡県と徳川家康
武士が政治の中心となった鎌倉時代(かまくらじだい)からしばらくの間は、県のあちこちで合戦(かっせん)や領土争い(りょうどあらそい)が起こり、北条氏(ほうじょうし)や今川氏(いまがわし)など、力の強い一族が治めている時期もありました。
江戸時代のはじめ、家康が駿府(すんぷ/今の静岡市)に隠居(いんきょ)した時には、主な家臣(かしん)や学者、大商人などもいっしょについて来たので、この地域の文化に大きな影響を与えました。また東海道五十三次(つぎ)のうち、22の宿(しゅく)があり、それぞれの宿(しゅく)を中心として、町が発展(はってん)しました。また伊豆(いず)や駿河湾(するがわん)にある港や富士川、天竜川に沿った町でも船の交通が盛んになり、栄えてきました。
そのころの静岡県は、大名が治める藩(はん)や徳川家の家来(けらい)の領土(りょうど)である旗本領(はたもとりょう)、徳川幕府(とくがわばくふ)が代官(だいかん)をおいて直接治める天領(てんりょう)などに細かく分かれていました。
「静岡県」の誕生
明治になり、駿府に静岡藩ができたあとで、「藩」が「県」と名前が変わりました。それから韮山県(にらやまけん)の一部となっていた伊豆地方と、浜松県を合併(がっぺい)して、今の静岡県になったのが明治9年8月21日です。これにちなんで、静岡県では毎年8月21日を「県民の日」として、この日にさまざまな行事を行っています。
静岡県は、豊かな自然と暖かな気候に恵まれているだけでなく、いつの時代も関東(かんとう)と関西(かんさい)の文化や人が行きかうとても大切な場所なので、いろいろな歴史が県内各地にきざまれています。
写真協力/社団法人静岡県観光協会
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