第2回伊豆文学賞 最優秀賞受賞作品「星への道」
星への道
榧守 遼
一
入江の奥に緩やかな弧を描く白浜が眼に入ってくると地面はおもしろいように後方へと流れ出した。そのことで長かった落居からの坂道が終わり、子浦への下りに入ったことを知った。
地面を踏み締め、蹴りあげている感覚は希薄だった。こんなときタイムは自分が思っているよりもはるかに悪い。もっと速く走ろうと思いながら、それは限界のスピードであった。
突然に湧き起こって全身を押し包んだ声援と拍手が、朋子に最後のコーナーを曲がったことを教えていた。距離にして五十一・五キロ、時間にして二時間余り、しかしその数字以上にもっと遠い世界への旅に思えた。
不意に胸の底から熱いものが幸福感をともなって込み上げてきた。涙で歪んだ光景のなかを、ウィニングロードに押し寄せた観衆の顔がつぎからつぎと流れていく。その先にあるはずの栄光のゴールは白い光に包まれて見えなかった。
姉夫婦の経営する雲見温泉の民宿に手伝いがてら居候に来たばかりの頃、朋子は終わり湯に浸かって体重計に載るたびに困惑といちまつの寂しさを感じていた。
シーズン前の接客の仕事は重労働ではなかったし、朝夕の浜風と毎夜の温泉浴は長年に渡って痛めつけられてきた体を躯幹から癒し、そこに潜む生命の源を心地よく揺さぶるようであった。地元の漁港から水揚げされた魚介類も、都会で口にするものとは違い、新鮮で滋味に溢れていた。一日に二十キロ三十キロと走っていたトレーニングをやめて、同じように食べているのだから体重が増えるのはあたりまえのことだった。身長百六十三センチ、体重四十一キロの棒切れのようだった細身は、すぐに薄く脂肪の衣を纏い始めていた。
「いいじゃない。あんた、女らしくなって。早くいい人、見付けて結婚しなくちゃあ。平凡だけど女の幸せはそれが一番」
食堂のテーブルで二人きりになったとき、姉の加津子は何度となくそう言った。いくらか強い口調は、所属していた実業団の陸上部を、依願退職という形をとりながら実際は首になって都落ちしてきた妹への励ましも含んでいた。
「どうせ男と付き合ったことなんかないんでしょ。あんたにその気があるんなら、いい人を探してみるよ。どうなの」
「このあたりの人?」
「そりゃ、そうよ。このあたりじゃ、いやなの」
「そうじゃないけど、結婚して、そのまま、この土地で年とっちゃうのかなあと思って」「なに甘いこと言ってんのよ。あんた、もう二十六だよ」
三月の末に退職して三ケ月余り、諦めたつもりでも現役選手であった頃の輝いていた日々はまだ心の奥でくすぶっていた。
陸上の長距離選手として角田朋子は一時期、脚光を浴びたことがある。その光源らしきものを初めて見たと思ったのは、高校三年の体育総体の三〇〇〇Mで銀メダルを取ったときだった。
高校を卒業して神奈川に本拠地を置く電子部品メーカーの陸上部に籍を置いてからも、一年、二年と競技者としてのキャリアは順調に経過して、国内では一万Mでメダルを争える選手にまで成長していた。
三年目になって転機が訪れた。三年後にアトランタオリッピックを控え、朋子は一万Mからマラソンに転向した。マラソン練習ではスピードよりもスタミナを重視するため、長距離の走り込みに比重がかかる。半年も経たずタイムトライアルで二時間三十分を出したときには、周囲の期待も一気に高まっていた。今になって思い返せば、そういった重圧が知らず知らずのうちに朋子の両脚に疲労を蓄積していたのかも知れない。目標のレースを決めようとする秋口、会社のグラウンドでロングインターバルをやっていて右足の指に違和感を覚えた。そしてそれはすぐに針を突き刺すような痛みに変わっていた。その瞬間のことを朋子は今でも忘れることができない。右足をなにかに引っ掛けたようにグラウンドへと投げ出されたとき、青く澄み渡った空の片隅から冷え切った風が吹き降りてきて自分を取り囲んだような気がした。右足第二中節骨疲労骨折。さらに足底部に筋膜炎を発症していた。
それまでの競技人生で故障といえる故障もなかったから、不安と焦りは羽虫のように付きまとって朋子の神経を苛んだ。
一カ月経っても走ることはできなかった。水泳で体調の維持に努めながら、二カ月後にジョギングを開始したが、本格的な練習再開の目処は一向に見えてこなかった。二カ月のブランクを取り戻すのには半年かかると言われている。
しかし朋子はそれ以降、一度も陸上競技選手としての輝きを放つことはできなかった。肉体の奥深くで要のなにかが硬化してしまったかのように、一流と言われるタイムを薄紙一枚のところで破れなくなっていた。
監督には精神的なものだと言われた。たしかに故障への恐怖は心の隅に小さな刺となって潜んでいたが、それだけではない分厚い壁が目の前に立ちはだかったようであった。
そんな状態が一年、二年と続くとそれが自分の実力だと思い込むようになる。駅伝のメンバーから外されて三年、周囲の景色はいつのまにか華やかな色彩を完全に失っていた。今年の春先、合宿所の白梅がまだ固い蕾をつけ始めたばかりの頃、改まった顔で監督室に呼ばれたとき、朋子はついにひとつの季節が終わったことを悟っていた。
二
「連れも一人来るんだが」
義兄は最後になって付け足した。
「いいじゃない。あんた、海釣りなんか、やったことないんでしょう。船もたまに乗るならおもしろいよ。行ってきな。それに休みに入れば、眼が廻るくらい忙しくなるんだから」と姉も夫の誘いを後押しした。
姉夫婦の言葉にそれ以外の意図が匂わないわけではなかったが朋子はあえて詮索はしなかった。
小中学校が夏休みに入る前の一日、船を舫っている雲見の岸壁に行くと、ひとりの若者が立って二人の到着を待っていた。短く刈り込んだ頭髪、太い首、がっしりとした骨格、赤く焼けた二の腕の盛り上がり、白いTシャツ、そしてよく輝く黒い眸。それは朋子の想像していた海の男の姿に、違和感なく重なるものだった。
「岩地で民宿をやっている岡部正史君だ。こちらはうちのかみさんの妹で、角田朋子さん。今、うちで手伝ってもらっているんだ」
岡部はよろしくと言って右手を差し出した。すぐに朋子の細い手はがっしりとした漁師の手に握り締められていた。
「宿の方はお袋まかせで、ぼくは船に乗っていることの方が多くて」
岡部ははにかみがちに色の黒いことと手の皮の分厚いことを弁解したように見えた。
「岡部のところは釣り舟とそれからスキューバダイビングもやっているんだ」
朋子は一週間ほど前の晩に姉から聞かされた話を思い出していた。
「ねえ、岩地にいい人がいるんだけど会ってみない。うちと同じように民宿と船をやっていてね、お父さんは亡くなっているんだけど、そんなに悪い話じゃないと思うよ」
朋子自身、もちろん見合いは初めての経験だった。
「私なんかだめだよ」
「いいのよ、そんな堅く考えなくたって。友達付き合いから始めればいいんだから」
そう言われて朋子は曖昧に笑っていたが、姉夫婦の段取りは予想以上に迅かったことになる。岡部の目尻に幾筋かの皺のようなものを認めたとき、見た目より年が入っているのかも知れないと思った。
朋子は釣りそのものも初めてなら、釣り舟に乗るのも初めての体験であったから、義兄の操舵で船が岸壁を離れると遠ざかる入り江の景色に見入っていた。
沖合に停泊して船舷から釣り糸を垂らす。釣り棹も、リールも、重りや針のついた仕掛けも朋子には物珍しかった。義兄と岡部のあいだでコマセとかハリスとかシカケとか、朋子が初めて耳にする言葉が飛び交っていたが、気が付くと朋子の棹は岡部によってすべての用意が整えられていた。
「棹の先がしなったら、上げればいいだけです。簡単ですよ」
岡部は釣り棹を棹台に乗せると、バトンタッチをするように朋子に握りの部分を握らせた。甲板で立ち廻る岡部は口数が少なく動きに無駄がなかった。釣り棹の先に目を向けながらも岡部の存在は絶えず朋子の視界の隅で生彩を放っていた。
潮の具合なのか釣果はさっぱりだった。釣り棹が波間に向かってしなることはなかった。ときとして朋子の視線は波打ち際に浮かぶ奇岩の先をたどることもある。
西伊豆の切り立った海岸が荒波に洗われて白い線を重ね、その海原の彼方、薄雲を曳いて横たわる陸塊から一際抜きん出て高く、富士山が蒼古の姿を高曇りの空に映していた。眼を戻すと海面は高まり低まりして遠く波頭を連ねていく。それを覗き込んでいると一年また一年と数えるように二十六年の人生が浮かんできた。
今までは走ることがすべてだった。コンマ一秒でも記録を縮め順位をひとつでも上げることに、持てるエネルギーのすべてを注ぎ込んできたと言っていい。
そこは他者との比較によって成り立つ、明々白々たる勝ち負けの世界だった。競技はつねにひと握りの勝者を生み、累々たる敗者の群れを築く。勝者には栄光、名誉、賞賛があり敗者に残るものは悔しさだけでしかなかった。敗者であることから学ぶ教訓は多かったが、それは勝者になるための教訓でなければならなかった。
朋子自身、何度も味わったわけではないが勝者の美酒は人生を得難く貴重なものと思わせるに十分であった。だからこそ単調で厳しい練習の日々にも耐えていけたのだ。
しかし朋子が今、垣間見る世界は、そういった直截な努力と結果の世界ではなかった。そこはもっと緩やかな時間の流れの中にあり、自分の晩年までもが一度に俯瞰できる箱庭のような世界に思われた。
そのなかに喜びや悲しみ、不安や苦悩が詰まっていた。幸せと呼べるものも台所のなかに、茶の間のなかに、寝室のなかにも探し出せば隠されているのかも知れない。
三十分ほど頑張って一匹も釣れなかった魚が、釣り場を移動した途端に入れ食い状態となって朋子は釣り棹を引き上げることに夢中になった。途中まで釣り上げて釣り針から外れてしまう魚もあったが昼近くなって棹をしまうまでには小型のアジを十尾以上は吊り上げていた。
船首を陸に向けると舳先の彼方に雲見の集落が寄り集まっていた。それは厳しい自然環境から追われたように、入り江の奥の砂浜にへばり付いた小さな人間の砦だった。背後にはうずたかく盛り上がる伊豆の山塊が迫り、そこは白波と潮風に洗われる悲しいほどに限られた土地であった。
三
朋子はどんなスポーツであれ、単純に体を動かすことが好きだった。烈しく規則的な息遣い、心臓の鼓動に聴き入っていると無心になって身も心も洗い清められるような気がする。一日に一度は三十分でも心拍数を上げてひと汗かかないと血管のなかに不純なもの澱んでいるようで生理的に不快感が拭えなかった。
雲見に来てからは従兄弟のマウンテンバイクを借りて風光に魅せられるままに方々へと走り回っていた。アップダウンの激しい道を遠く石廊崎方面まで足を延ばすこともあるが元一線級のマラソンランナーにとっては足慣らし程度でしかない。
しかし西伊豆での気ままな生活も夏休みに入ると一変した。辺鄙な半島の一隅はにわかには発熱したようであった。
それまで閑散としていた海岸道路には他県ナンバーの車が連なり、砂浜には色鮮やかなビーチパラソルが所狭しと並んだ。
雲見荘の客は種々雑多だった。家族連れだけでなく、友人同士、学生サークル、会社の同僚、若いアベックもいる。十二の客室は連日ほぼ埋まり朋子は客の応対に追われた。一年の稼ぎ時を迎えて、姉夫婦も神経を尖らせている。中学二年と小学校五年の従兄弟たちも、食事の盛り付けや膳運びを手伝った。
民宿業は朝が早く夜が遅い。自分たちの夕食を済ませたあと、食堂の掃除と食器洗いを終えて風呂で汗を流すとあとは布団に横になるだけだった。朋子の自由になる時間は昼過ぎから夕食の準備が始まるまでのわずか数時間ほどに減り、サイクリングもままならなくなっていた。
岡部からの電話は、夏の第一陣が去ったあとにひょっこりとかかってきた。それまで一度も連絡がなかったのは同じ商売だけあって、相手の状況に気を使った結果のようだった。ひとしきり行楽客商売の難しさを話したあとで「今日の午後、素潜りでもしませんか。ボートで海水浴場の先まで出れば、ウニやサザエが採れます」と誘った。
泳ぎが好きだということは、先日の釣り舟の上で話していたかも知れない。しかし実際に狭いボートの上でふたりきりになって水着姿を見せるとなると幼い頃の恥じらいが蘇った。いくらか脂肪をつけたとはいえ、朋子の上半身はまだ少年のそれのようだった。
朋子自身、岡部に悪い心証を持ったわけではなかったしデートにも胸踊るものがある。ただ痩せた胸が恥ずかしいだけである。
「私、プールでしか泳いだことがないんです。素潜りはできないから、ボートで見ています。それでもいいですか」
昼食を終えた頃、庭先に車の音がして岡部が雲見荘の玄関に姿を見せていた。朋子は背中に姉夫婦たちの視線を感じながら、隠れるようにステーションワゴン車の助手席に滑り込んだ。
「仕事は慣れましたか」
「仕事って、そんなたいしたこと、やってるわけじゃありませんから。でも、夏休みに入ったら、すごく忙しくて」
「忙しくて結構なことです。群発地震があったときは大変だったんですよ」
二言三言を交わしただけで車はすぐに雲見大橋の下をくぐり抜け、小さな港に着いていた。突堤の先では牛着岩が、断ち切られた背鰭のような奇観を見せている。右手の砂浜では海水浴客が潮風に喧噪を巻き上げていた。朋子が脱衣所で地味なワンピースの水着に着替え、さらに白のTシャツを重ね着して岸壁へと戻ると岡部はすでに漁業組合から借りたボートを波の上に浮かべていた。その赤胴色に焼けた背中が眩しく見えるのは、なにも降り注ぐ陽光の烈しさのためばかりではなかった。肩や背に盛り上がる筋肉の躍動が近付いてくると朋子は心臓の拍動が速まるような気がして慌てて目をそらした。「こっちですよ」
岡部が立ち上がって手を振った。朋子は顔が熱く火照るのが分かった。胸が詰まるような息苦しさを覚えたがそれを悟られるのを恐れるように視線を波間に紛らわせ、岡部の存在を擦り抜けて舟上の客となっていた。
「朋子さんは三島の出なんですね。どうです、このへんは。松崎からこっち、ずいぶと田舎でしょう」
オールを漕ぎ出すと岡部の体が急にその嵩を大きくしたような気がした。
「ぼくもしばらく横浜で暮らしたことがあるんです。松崎の高校を出て、車の電装品メーカーの工場で四年間。若かったし、それなりに楽しかったけど、でも心の底ではいつかここに帰って来るって決めていたんでしょうね。土着っていうんですか、その土地に根ざした生活って、なんとなく安心感を感じませんか。潮風、砂浜、磯、朝焼け、夕日、なんだか年をとるほどにみんなしっくりしてくるような気がします。やはり漁師の血ですか。田舎もんですね、こんな考え」
岡部は前後させる櫂の動きに合わせてゆっくりとしゃべった。
ボートは牛着岩の手前に止まった。海水は光を吸い込んで鮮やかに透き通り、海底の岩礁に揺れる海草まで手にとるように見える。岡部はしばらくボートを波間に漂わせていた。朋子もなにかしゃべらなければと思った。
「私は高校のときから陸上しかやってこなくて。もう、それだけだったんです。毎日、毎日、走ることばかりで。まったくの世間知らずで、実際の社会には、まだ一歩も足を踏み出してはいないのと同じです」
陸上を辞めた今、朋子は自分がどんな生き方ができるのか、なにを生きがいとして生きていけばいいのか、まだなにも見えていなかった。前途は茫洋とした霧のなかにあり、裸の弱々しい自分がその前で佇んでいる。そのことを伝えようとして言葉をうまく選べなかった。
「だから岡部さんに迷惑をかけてしまうかも知れないんです」
「迷惑?」
「自分がもうそんな迷っている年ではないことはわかるんですけど。結婚というのは・・・・」
その言葉を口にしたとき朋子は胸を包む肋骨が不規則に軋んだような気がした。そしてこんなことを言うのはきっと岡部に好意を抱き始めているからだと思った。
「その、もっと、まだまだ遠いところにあると思っていたんです」
「まだ出会って、二回目じゃないですか」岡部は白い歯を見せた。「結婚なんて。友達でいいんですよ、こうして話ができるだけでも」岡部は水中メガネとシュノーケル、そして足ヒレを着けると水しぶきを上げて海中へと潜っていった。その動きは手にとるようにわかった。逆立ちの恰好で海底へと近付いて静止すると、すぐに反転して頭から浮かび上がってくる。そんなことが何回か繰り返されるとボートの一隅はひと塊の壷貝やウニで占領されていた。
「もう止めましょうか。あまりいいものばかりを先に出してしまうと飽きられてしまいますからね」
岡部は船縁に両手を懸けたまま夏の光に眼を細めた。「それより朋子さんも水のなかに入りませんか、気持ちいいですよ」
朋子は夏の空を見上げた。太陽も、雲も、砂浜から流れてくる喧噪も、海に入れ、入れと朋子に薦めているような気がした。
朋子は岡部に背を向けてTシャツを脱ぐと反対側の舷から海へと浸かった。二人はボートを挟んで顔を見合わせる恰好になった。朋子は岩場の方に向かって泳ぎ始めた。大きな腕の振りでゆっくりとひとかき、ひとかきしてから振り返った。
「さすが、やりますね。とてもきれいなクロールだ。あの岩まで競争しましょう」
すぐに岡部が水しぶきの音をあげながら力強いクロールで追い掛けてきた。
四
雲見荘を出て、まだ四十分もたっていなかった。道は妻良からの登り坂にかかっている。前方のカーブに華やかなサイクルウェアの一団を認めたとき、ああやっぱりと思うと同時に胸の奥に眠っていた闘争心が頭を起こすのがわかった。
「今日は午前中は泳いで、午後は下田の方まで行くか」
朝の食堂で朋子はそんな会話を小耳に挟んでいた。その言葉通り三人組は昼前に海辺から戻ってくると昼食をとって一時にはロードレーサーで出発していった。玄関ホールの一隅から軽快に走るために極限にまで研ぎ澄まされた機能美の輝きが消えると朋子は妙に急かされた気持ちになった。手早く食事の後片付けを済ませ、十分ほどの遅れで後を追っていた。
一行は金曜日の朝に着いた静岡からの宿泊客である。年令は二十代から四十代と離れていたがいずれも明るい色彩のウェアと全身から感じられる清潔感とが印象的だった。
受付で応対をした朋子は記入された宿台帳に目を落としたとき、同じアスリートであったことの親近感も手伝って思わず声に出していた。
「駿府、トライアスロンクラブの方ですか」「三日だけのミニ合宿だけえがよろしく頼まあ」
最年長の男が日に焼けた顔によく磨かれた歯列を見せた。
「選手の方ですか」
実業団陸上部に所属していた朋子は、彼らもなんらかの職業チームに所属する選手とコーチ、監督だと思ったのだ。
「選手?選手って競輪選手じゃねえぞ」
「いえ、その、トライアスロンの選手なんですか」朋子は慌てた。
「アマチュアの同好会ですよ」三十代の男が朋子の錯覚に気付いたらしく補足した。
朋子は新鮮な驚きに打たれた。アマチュアクラブがトレーニング合宿をするということだけでなく三十代、四十代になってもトライアスロンといった苛酷なスポーツに、人生の一部のもののように溌剌として取り組んでいる姿に虚をつかれたのである。
坂道がさらに斜度を強めると前を走る銀輪の輝きがぐんぐんと近付いてきた。サイクルウェアの色模様もはっきりとしてくる。数カ月前まで競技生活を送っていた朋子は、競争相手を見つけるとどうしてもペースを上げてしまう。
それに登り坂が好きだった。ぐいぐいとハンドルを引き付けて立ち漕ぎでペタルを踏む。階段を登りつめるように肺の底から迫り上がって息遣いの間隔が、喉元を突き破ろうとする寸前、ペースを押さえ規則的な呼吸を持続させる。
「こんにちは」朋子は短く挨拶を吐き出して最後尾の一人を抜きにかかった。四十代の男である。
「あれ、民宿のねえちゃんじゃねえか。やるなあ」
予想していたような驚きと悔しさの表情が、相手の顔に浮かばないことがもの足りなかった。
さらにもう一人を抜きにかかる。
「おっ」と言ったきり、三十代の男は表情を硬くしてしまった。
最後のひとりは二十代後半の一番若い男だった。昨日、受付をしたとき、他の二人の背後から注いできた射竦めるような視線をはっきりと憶えている。その眼差しに気づいたとき朋子は心臓を握られたような気がし、にわかに息苦しくなるのを感じた。長身で筋肉も発達し、がっしりと張った顎の線には肉体的な強靭さが伺われた。
その同じ眼を横顔に意識しながら、朋子は強い相手と競るときに受ける威圧感を感じ取っていた。
呼吸に乱れがないしコース取りも直線的だった。
「さすがやりますね」
男が涼しい声で言った。朋子がダンシングと言って立ち漕ぎスタイルであるのに対し、男はシッティングと言ってサドルに尻を降ろしたままぐいぐいとペタルを回している。
二人はしばらく並走する形になった。朋子は意地になった。さらにスピードをあげたが男も息を乱すことなくついてくる。もうそのペースを維持するのが限界だと思ったとき坂が尽きて短いトンネルへと入った。トンネルを抜けると道は南伊豆の田園地帯へと緩やかに下っていく。
朋子は救われた気持ちになった。脚を休め、大きく息を何度も吐き出した。
「角田朋子さんでしょう、相模セラミックにいた」
突然に本名を言われ朋子はうろたえた。目線を滑らせて男の穏やかな眼の色に出会うと魅入られたように頭を縦に振っていた。
「僕、ファンだったんですよ。怪我、したでしょう。ずっと心配してたんだけど、まさかこんなところで会えるなんて、感激です」
その思いがけない言葉は、天からの贈り物のように朋子の心に素直な喜びを与えていた。「あそこは姉の所なんです。夏の始めから手伝いを頼まれて」
陸上部を退部したことも言おうとしたがさすがに朋子の唇は重くなった。やはり心の片隅には負け犬の悔しさと惨めさが潜んでいる。「自転車は毎日?」
「ええ、だいたい」
「どれくらい乗るんですか」
「一時間から二時間くらい。用事があって乗れない日もあるけど」
「そりゃすごい。トライアスロンに転向したんじゃないでしょう」
「トライアスロン?まさか」
「ここであるんですよ、九月に」
そのとき後続の二人が追い付いて会話は中断した。朋子はなんとなく気恥ずかしくなった。しばらく躊躇したあとで頭をひとつ下げて先行した。
折り返し点である上賀茂方面と石廊崎方面の分岐は、そこから目と鼻の距離である。三人とは手を挙げただけの挨拶を交わして朋子は帰途へとついた。
雲見荘に戻ってからも、最後の言葉がずっと朋子の耳に残っていた。玄関先が気になって何度も様子を伺ったが夕方の忙しさに追い回されているうち、気が付いたときには三台のロードレーサーがホールの隅に並んでいた。三人組は風呂あがりのさっぱりとした顔で他のどの客よりも早く食堂に現れるとすぐに夕食前の酒盛りを始めた。初めのうちこそ朋子のことを角田さんと呼んで、実業団のマラソン選手であったことに敬意を表していたがビール瓶の本数を重ねるほどにそれがねえちゃんに替わり、今度はしきりにトライアスロン大会への参加を薦めてきた。
「もったいねえよ、ねえちゃん。故障は直ってるんだし、水泳だってできるんだろ。自転車もあれだけ走れりゃ、女子の部の優勝だよ、優勝」
「そんな、とても無理です」
それはもちろん朋子の本心だった。マラソンでの挫折の経験は、どんなスポーツであれ一流になることの難しさを痛いほどに教えていた。
「次回のシドニーオリンピックの正式種目に採用されたんですよ。ショートディスタンスですけど」と三十代の男が言った。
「ねえちゃん、今、そこそこの成績を出しゃオリンピックの強化選手に選ばれるぞ」この言葉を聴いたとき一瞬だが、それまで厚く空を覆っていた雨雲が途切れ一条の光線が鋭く射し込んだような気がした。
朋子は弾み出そうとする心を、冷静な言葉使いで隠した。「ここで大会があるって聞きましたけど、ほんとですか」
一番若い男への質問は自転車の上で耳にしたときからずっと喉元にとどまっていたものである。
「ええ、僕たちも出ます。九月の第二の土、日。会場はそれこそ、今日通った子浦の海岸ですよ」
「だけえが、あれ、もう締め切りが終わってねえか」
年長の男が初めて見せるような難しい顔をした。
「でも地元なんだし、コネがないですかね」「おい、ねえちゃん。誰か観光協会で知ってる奴がいるだろう、早く頼んでみろ」
朋子は駆け出そうとする足を慌てて自制した。
五
第4th南伊豆トライアスロン大会
SWIM:1.5K・BIKE:40K・RUN:10K
期日:1998年9月12日.9月13日
大会会場:子浦海水浴場
主催:南伊豆観光協会
一度消したスタンドをまた点けて、朋子は南伊豆トライアスロン大会のパンフレットと参加許可証書に見入った。
大会当日まで四十日も残されていない。四肢を巡り始めた新たな血の流れは、一日が終わろうとする今もまだ興奮を心に伝えている。朋子はその日の午後、岡部とともに子浦の観光協会支部を訪れて、参加申し込み手続きを済ませていた。大会実行委員長は岡部も面識のある妻浦の網元の息子であった。
「陸上の実業団にいたんですって、期待してますよ。地元の優勝を」
帰り際に言われた言葉がまだ耳に生々しく残っている。
それまで競技としてのトライアスロンに対する朋子の印象はあまり好ましいものではなかった。それは水泳にしろランにしろ、それ専門の一流選手だけが持つことのできるスピードとそれに伴う美しさに欠けているといった単純な理由からである。しかし自分が出場するとなるとそういったこだわりはすっかりと消えていた。
翌日、朋子は姉の車を借りて、トライアスロン関連グッズの専門店のある沼津まで出掛けた。ウェットスーツはサイズを測っただけで簡単に決まったがロードレーサーには値段がピンからキリまであって決めあぐねた。素人には細かい部品の良しあしまではわからない。
「どのくらいを狙っているんですか」
頭をスポーツ刈りにした店主は小柄だが現役を退いたばかりの競輪選手といった印象だった。
「趣味でやるんならそんなにいいものでなくてもいいけど、上位を狙うんなら、まあ、それ相応のものに乗っていないとね」
タイムを一秒縮めるために身も削るような努力をしたことがあるだけに、朋子は競技における用具の重要さも理解しているつもりだった。迷いながらもこのふたつに大枚三十万円余りをつぎ込んだのは、勝利によって得ることのできる世界は金額には代えられないものであることを知っているからだった。
一週間ほどして完成品が運送会社のトラックで送られてくるといよいよ朋子のトレーニングは現役時代の厳しさを見せた。三種目の練習をこなさなければならないので時間はいくらあっても足りない。とくにロードレーサーは前のめりの走行姿勢と下りでのスピード感覚、コーナリングに慣れるためにもっと乗り込む必要を感じた。
順調に消化していたトレーニングも、盆休みに入るとにわかに停滞した。海辺の民宿は連日、目も廻る忙しさに追われ、練習時間が思うように取れない。朝食、夕食の支度だけでなく、受付、客室の掃除、寝具の取り替え、釣り舟、タクシーの手配と仕事は次々と現れた。一介のアマチュア選手となった朋子は、練習時間を確保するために仕事を休みたいとは言い出せなかった。昼間、スイムもバイクもできなかった日は、睡眠時間を削っても夜にいつもより長い距離を走ることになる。
疲労が眼に見えない形で少しづづ蓄積しているのが自覚できた。過労はトレーニング効果を低めて焦りを生む。焦りはさらに激しい練習へと駆り立て、結果、肉体に決定的なダメージを与えてしまう。それは何度も経験したことのあるスランプへの典型的なパターンであった。
休養がなによりの薬であることはわかっている。しかし意気込んでいる大会を目前にして、完全に練習を休む勇気はなかなか発揮できなかった。軽い練習で疲労を抜こうと思いながらも日中の熱気が応えたのか、盆休みの終盤に入っても朋子の体調は泥沼の底を喘いでいた。
大会二週間前には実戦を想定したタイムトライアルを予定していた。そのときの目標タイムは前年の女子の優勝タイムを上回るものであり、もちろんその先にはオリンンピック強化選手への指定という大目標を見据えている。
今やそういったもくろみのすべてが波間に消えようとしていた。大会で惨めな姿を晒すぐらいなら、いっそレースを放棄しようといったプライドがまだ朋子には残されている。雲間から射していた光はまた灰色の雲に遮られ、周囲の景色はつかの間の輝きをすっかりと失ったようであった。
ずしりとした大判の封筒が朋子の元へと送られてきたのは、盆休みも終わりに近付いて雲見の民宿もようやくひと息つきかけた頃であった。差出人は駿府トライアスロンクラブの前嶋和彦となっている。
中からはトライアスロンのトレーニング方法、大会に初参加するときの心構え、注意点などを特集した雑誌が二冊、トライアスロン連盟が毎月発行する会報が三部、そして駿府トライアスロンクラブの月報、さらに便箋が二枚入っていた。
朋子は手紙から読み始めた。二、三行読んで、前嶋和彦が駿府トライアスロンクラブの三人組のなかで一番若い男であることがわかった。と同時に全身の血が胸のあたりへと駆け上がってきて、朋子の指先は細かく震えた。前嶋和彦は背が高く目鼻立ちの整った容貌で、朋子に向けた涼しげな視線をはっきりと覚えている。角田朋子のファンだとも言った。低く穏やかな声が心地よく耳に残っていた。そんな声や視線を思い浮かべながら朋子は手紙を読み進めていった。前嶋はさりげない心使いで練習のし過ぎと体調の管理に十分に注意するようにと語っていた。トライアスロンのことを知ってほしくて資料を同封したとも書いてあった。
しかしもっとも朋子の心を引き付けたのは後半の部分に入ってからだった。
トライアスロンは敗者のスポーツとよく言われます。トップ選手の多くは陸上、水泳などで一流になれなかった人たちなのです。みんな挫折感を引きずりながら、トライアスロンへの第一歩を記したのです。
角田さんはトライアスロンのランを実際にご覧になったことがあるでしょうか。陸上選手のそれとくらべれば絞り込みの足りない、どちらかといえば筋肉が過多に見える体で、苦しさに表情を歪めながらゴールテープを切る光景をご覧になったことがあるでしょうか。トップ選手といえどその姿は美しいと言えるものではないでしょう。
しかしどうかそれを陸上競技のランと同一に考えないでください。トライアスロンのランは水泳、バイクの後に位置するランであり、選手自身は、不思議なことに、観客の誰一人として想像しえないような遠い遠い距離を走り抜き、キロメートルの単位では計測できない別次元の世界へと旅をしたように錯覚しているのです。
それはなにものにも代えられない幸福な錯覚ではあるけれど、選手が実感できることにおいて経験と呼べるでしょう。
二000年のシドニーオリンピックからトライアスロンが正式種目として採用されることになりましたが、僕個人としては残念な気持ちがあります。トライアスロンというスポーツだけは、地位とか勝利とか名誉といったことから無縁であってほしい。すべてが敗者と勝者とに峻別される世界にあって、すべてに順位がつけられるスポーツのなかにあって、トライアスロンだけは完走した誰もが自分ひとりの王国を築くことのできる特別なものであってほしいからです。
つまらないことを書き過ぎてしまったかも知れません。くれぐれも練習のし過ぎには気をつけて、疲労をためないように。夏場、日中の練習はどうしても疲労が残るものです。朝夕の涼しいときが良いでしょう。こんなことは角田さんには言わずもがなのことですね。大会での再会を楽しみにしています。
朋子はその手紙を何度も読んだ。大会出場を決めてからというもの、肩肘を張った自分の姿勢を改めて教えられた気がした。手紙は他者との戦いのなかに見いだす強烈な光の世界だけではなく、自己との戦いのなかにも、もっと柔らかな光に包まれた豊かな世界があることを示唆していた。
六
八月の青空がいつのまにか秋の透き通った気配に染まり始めている。水平線に立ち昇る雲も、心を落ち着かなくさせるような白い輝きをすでに失っていた。
砂浜から遠く離れた海原の上で、朋子は仰向けになって小波に身を任せながら空を眺めていた。空は広かった。自分の居る場所を忘れさせるほどに広かった。その広さが朋子に、かってアスリートとして上り坂にあったとき、尊敬する先輩からかけられた言葉を思い出させていた。
「だめだよ、自分でやらなくちゃ。あんた、自分が好きで陸上、やってるんでしょ。人のためにやってるんじゃないんだよ」
あのとき故障から立ち直らせなかったものは、人に期待され、監督、コーチの指導を受けるうち、いつのまにか自分の足で歩くということを忘れた競技人生に対する姿勢ではなかったかと今になって朋子は思い当たる。
水をかく音が近づいてきて朋子の想いを遮った。黒のウェットスーツを着た男が海の上から朋子に笑いかけている。
「いいんですか、水に浮かんでいるだけで」ゴーグルを外した顔は岡部だった。
「このところ全然、調子が悪くて。落ち込んでいるんです」
朋子は久し振りに岡部の顔を見て心が緩むのを感じた。
「僕も、特別参加を許可されました。暇だったらスイムとバイクの練習に付き合ってください。ランの相手はちょっと無理ですが」
「ほんとですか」朋子の声は、孤島にあってもうひとりの漂流者を見付けたように弾んだ。翌日から岡部は昼過ぎに雲見荘に姿を見せるようになった。浜育ちだけあって岡部は水泳が速かったし、筋力に優れているため自転車もなかなかのものだったが当然、練習密度はアマチュアのそれである。
数日間、朋子は岡部に合わせて同じ練習メニューをこなしていた。民宿の仕事に余裕ができてきたことも、その分、体を休める結果になっていたのかも知れない。一時、過労から浅くなっていた眠りがしだいにその本来の黒い色を取り戻し、そして深々と眠れた一夜があった。朝、目覚めても体の筋肉という筋肉、骨という骨の一本一本が解きほぐされたように、朋子はしばらくは布団から起き上がることができなかった。疲労が抜けたのだと思った。
その日から朋子は徐々に自分の練習ペースをとり戻していった。一旦、復調に向かうと若さの特権でその回復は早いし、練習環境への適応力もある。気力が蘇ると一度は消えかけた希望の光が再び、霧の彼方にぼんやりと灯り始めていた。
トレーニングはしだい本来の激しさと厳しさを取り戻していった。基本的なメニューは昼間、水泳とバイクを隔日で二時間ほどこなし、夜は十キロを走る。
不安だった右足裏の古傷も再発の気配を見せなかった。最盛期のスピードは望むべくもないが小学校のグラウンドを借用してインターバルのトレーニングも消化していた。
大会の二週間前、岡部と二人で子浦まで出掛け、実際の距離とコースを使った三種目の模擬レースを行った。スイムこそいい勝負だったがバイクで先行し、ランで大差をつける結果になった。その合計タイムは自分でも驚くくらいに満足できるものであった。
「いや、凄いなあ、去年の女子の優勝がそんなもんじゃなかったかな」
岡部は三十分以上も遅れてゴールすると開口一番に言った。
「僕はこの二週間で、朋子さんが運動競技者だということがよくわかりました。僕たちとは妥協点が違うんですね。自分をぎりぎりまで追い込める。しかしそんなあなたが僕はますます好きになりました」
岡部は荒い息に紛れてそんなことまで口にしたがそれで話が終わったわけではなかった。自動販売機で買ってきたスポーツ飲料を傾けながら堤防に座って青々とした子浦の入江を眺めていた。
「どうです、西伊豆もなかなか、いいところでしょう。ここに永住する気持ちはありませんか。岡部荘は大歓迎ですけど」
朋子は返答に困った。横目で岡部の表情を伺った。岡部は四角い顔に硬い笑いを浮かべているがその目には揺るぎのない光があった。朋子は視線を海の彼方へと向けた。水平線には再び鮮明となった壮大な絵が描かれていた。オリンピックの夢を語ることは、それこそ岡部にとっては夢物語であるのにちがいない。配偶者としての岡部は、男としての逞しさも頼もしさも優しさも合わせ持ち、申し分のない夫であり父となるだろう。そのことに朋子の不満があるのではなかった。生活の不安があるのでもない。
「岡部さんは、私には、もったいないです」朋子は自分が卑怯な言い方をしていると思った。
「ちがうんです。今度の私のレースを見てくれませんか」
レースのときの自分のありのままの姿を見せることができれば、その姿が人の胸になにかを訴えることができれば、それがおのずと岡部への、そして自分に対しての解答になると思った。
「わかりました。ただあなたがふっと遠くへ、僕の手に届かない所へ行ってしまうような気がしたので取り乱してしまいました」
九月に入ると日の光も盛夏の苛烈さを失って、穏やかな色合いを含むようになった。朝夕の浜風にも爽やかさが感じられる。
残りの二週間を朋子は調整に専念した。バイクにしろランにしろスイムにしろ、疲労を抜くために時間をかけてゆっくりと長い距離をこなし、時折、筋肉を刺激するために短いダッシュを挟んだ。一日の終わりには布団の上で丹念なストレッチとマッサージを自分の体に施した。
大会当日が近付いてくると日々の生活はにわかに緊張の度を高めてきた。神経は尖り、血の流れは熱く、自分の体が自分のものでなくなっていくような昂揚感。それは朋子が実業団に所属していたときから何度も経験していることであったが監督、コーチ、眼に見えるライバルの存在がない分だけ、もっとしなやか空間が自分の周りに広がっていた。
一週間前には、子浦か妻良の民宿に泊まるものとばかり思っていた駿府トライアスロンクラブの一行から雲見荘に予約が入って朋子を喜ばせた。大会三日前あたりからロードレーサーに乗ったトライアスリートの姿が雲見大橋の上に見かけられるようになった。
前日になると早朝からロードレーサーを積んだ車が続々と、岩礁と背梁と海とに囲まれた雲見の集落を抜けて子浦方面へと下っていった。駿府トライアスロンクラブの面々も十一時頃に日焼けした精悍な顔を雲見荘の玄関に見せた。その到着を朋子はいまかいまかと待っていたのである。
賑やかな五人組のなかには前嶋の顔もあった。朋子は目線で挨拶を交わせたことが嬉しかったが、そのあとで前嶋が一人でいる所を見付けて小声で手紙の礼を言った。
「いえ、僕の方こそ返事をもらって。それより調子はどうですか」
前嶋は懐かしい笑顔を見せた。
「悪くないです」と朋子の表情も自然とほころんだ。
大会に参加する選手はその日のうちに参加登録を済ませ、ロードレーサーの安全チェックを受けなければならない。コースの試走もあるし、夕方の四時からは海岸で前夜祭が開かれて招待選手の紹介やカーボローディングパーティーがある。
昼過ぎに岡部が登録手続きをするために朋子を誘いに来た。ちょうど駿府トイアスロンクラブの面々も玄関にいて出発の準備をしているところだった。メンバーの目が朋子と岡部に向けられるのがわかった。このとき朋子は痛いほどに前嶋の視線を意識し、その視線の先から逃れようとする自分に気付いたが世話になった岡部の迎えを無下に断ることはできなかった。
雲見から子浦海岸までは車で二十分もかからない。入江の青々とした海面がフロントガラスに映るとすぐに砂浜に設置されたスタートとフィニィシュの関門ゲートが眼に飛び込んできた。防波堤の際にはトランジットとテント三張りほどの大会本部が設けられ、その廻りには参加者が大挙して群がっている。
選手たちの熱気の中にいて朋子は久し振りに背筋から四肢へと広がる戦慄を感じ取っていた。その眼はライバルとなりそうな女性選手を人込みに追ってしまう。当たり前ともいえるそんな反応が朋子には煩わしかった。
すべて手続きを済ませると岡部に頼み、前夜祭への参加を取りやめて雲見に帰ることにした。いつも通りに時間を過ごした方が神経を集中できそうな気がする。
玄関に朋子の姿を見つけた姉は、今日は民宿の仕事はしなくていいのにと気を使った。「普段通りのほうがいいみたい。あんな大勢の選手を見たのは久し振りだから、緊張しちゃって」
「そう、だけど今夜は早く休みな」
夕食間際になって駿府トライアスロンクラブの一行も子浦から戻ってきた。賑やかな面々のなかにあって前嶋だけが心もち顔色を曇らせているような気がした。そんな表情の原因がひょっとして岡部の出現にあるのではと思い至ったとき、朋子はにわかに熱く打ち出した胸の鼓動を感じ、そしてその奥に前嶋への思慕を確かめていた。
前嶋と言葉を交わしたいと思いながら、結局その機会を見つけることができなかった。夕食を済ませると早めに風呂に入り、そのあとは自室で好きな音楽を聴いたり、トライアスロン雑誌の初参加の心構え、注意事項などを読んで過ごした。
その夜の宿泊客はいずれも大会参加選手とその家族たちであった。明朝のスタートまで十二時間を切る頃にはそれまで廊下に聞こえていた足音や声もぱったりとやんでいた。
朋子は気持ちの高まりに耐え切れず夜の浜へと出た。内海は背後の山際から昇ったばかりの半月に照らされて黄金色の静かな揺らぎを波の上に浮かべている。両岸に切り立った山の影を曳きながら入江の向こうには黒々とした夜の海が広がっていた。
そのきらめきの遥か果て、巨大な海の暗黒を隔て、大地の微かな息遣いのように人間の営みが光点を横へ横へと連ねている。そして朋子は夜の空を仰ぎ見た。古代からの星彩に飾られて、そこは宇宙の無辺へとつづく厳かな静謐に満たされていた。
啓示のようにひとつの光景が朋子の眼裏に訪れていた。陸地から星を越え、宇宙の果てへと架けられた白く輝く道があり、その道を猫背気味に黙々と走る人間の後ろ姿が見えた気がした。
海を往くように宙を渡るように、それは長くて孤独な道だった。銀河の光に見守られ、めくるめく波の輝きに似た喜びを用意しながらも、ふたたび戻ることのできない自分一人の道だった。
「ガンバレ、ガンバレ」
その後ろ姿に朋子は小さな声で声援を送っていた。
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