再審無罪判決を踏まえた事実確認の結果について
再審無罪判決を踏まえた事実確認の結果について
第1 目的
「清水市横砂会社重役宅一家4名殺害の強盗殺人・放火事件」(以下「本件」という。)については、事件発生から58年余りが経った本年9月26日、静岡地方裁判所(以下「地裁」という。)において無罪が言い渡され、これが確定したが、その判決において、捜査機関による捜査に対して非常に厳しい指摘がなされた。
この事実確認は、判決を踏まえ、県警として実施し得る方法、すなわち、存命する本件捜査に従事した元捜査員6名、みそ製造会社の元従業員6名等(以下「元捜査員等関係者」という。)への聞き取り及び当時の事件記録等に記載されている警察の捜査活動の内容を再確認することを通じて、今後一層の適正捜査の推進に資する教訓を得るために実施したものである。
第2 事案の概要
本件は、昭和41年6月30日午前1時30分ころ、清水市(現静岡市清水区)横砂に所在するみそ製造会社に近接して建つ、同社専務方居宅兼事務所で火災が発生し、家族4人が遺体で発見された事案であり、遺体に多数の刺し傷があったことなどから強盗殺人・放火事件と断定し、捜査の結果、同社の住込み従業員であった袴田巌氏(当時30歳。以下「袴田氏」という。)の居室から発見されたパジャマから血痕と混合油が検出されたこと等により、同年8月18日に袴田氏を通常逮捕した。
事件発生から約1年2ヶ月、第1回公判期日から9ヵ月余りが経過した昭和42年8月31日、同社工場のみそタンク内から血染めの5点の衣類が発見されたことにより、犯行着衣についてパジャマから5点の衣類へと立証方針が変更され、昭和43年9月11日に死刑が言い渡され、昭和55年11月19日の上告棄却の後、刑が確定した。
その後、昭和56年4月20日、袴田氏から地裁に対して再審の請求がなされ、平成20年3月24日、最高裁判所において特別抗告が棄却された。
さらに、同年4月25日、袴田氏の実姉から地裁に対して第二次再審の請求がなされ、令和5年3月、再審開始が決定された。
再審公判は、同年10月27日、地裁において第1回公判が行われ、令和6年9月26日に無罪が言い渡され、同年10月9日、確定した。
第3 再審無罪判決の主旨
被告人が本件犯行の犯人であることを推認させる証拠価値のある証拠には、3つのねつ造があると認められ、これを排除した他の証拠によって認められる事実関係をもって被告人を犯人と認定することはできない。
第4 判決で指摘された事項
1 3つのねつ造について
(1) 検察官による自白調書のねつ造
ア 判決における指摘の要旨
被告人が警察官にした自白は黙秘権を実質的に侵害し、虚偽自白を誘発するおそれの極めて高い状況下で、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得されたものと認められ、刑事訴訟法第319条1項の「任意にされたものでない疑いのある自白」に当たる。検察官作成の自白調書が警察官調書とほぼ同旨であることに鑑みれば、警察官と検察官が入れ代わり立ち代わり自白を強制していたことにほかならない。
イ 確認結果
当時の取調べの態様については、昭和43年当時の確定第一審において「被告人の自由な意思決定に対して強制的・威圧的な影響を与える性質のものであると言わざるを得ない」と認定され、警察官作成の供述調書28通は確定第一審の時点から全て証拠排除されていたが、今次判決においては、第二次再審請求審の過程で発見された取調べ録音テープにより新たに判明した事実も踏まえ、改めて厳しく指摘されることとなったことから、警察の取調べに関して指摘された以下の事項について事実確認を行うこととした。
(ア) 深夜・長時間にわたる取調べ
当時の留置人出入簿によれば、袴田氏に出頭を求めて逮捕した昭和41年8月18日から自白前日の同年9月5日までの19日間において、1日平均約12時間の取調べが連日行われた上、午後10時を超えて行われる取調べが2日を除き毎日行われており、加えて、その翌日に取調べ開始時刻を遅らせるなどの補完措置が講じられた形跡もない実態が確認された。
(イ) 取調べにおける追及
取調べ録音テープの音声により、取調べ中に袴田氏に対して、被害者の写真を示しつつ繰り返し謝罪を求めたこと、勾留の長期化を仄めかして自白を迫ったこと等の実態が確認された。
(ウ)取調べ室内での排尿
取調べ録音テープの音声及び取調べ官らの公判廷における証言により、袴田氏に取調べ室内で2回排尿させたことが確認された。1回目は取調べにおいて事件に関する供述を迫った後、金属音や放尿するような音が認められ、2回目は取調べにおいて、取調べ室から留置場までの廊下、階段に報道陣が多数いたこともあり、留置場から便器を持ち込み、視界を遮るために衝立を立てるなどした状況が窺えた。
ウ 確認結果を受けた考察
確認された警察における取調べの態様は、いずれも供述の任意性が否定されるような方法であった上、後述の取調べに関する各種規定がなかった当時の確定第一審においても警察官作成の供述調書が全て証拠排除されていることに鑑みて、不適正であったと言わざるを得ない。
なお、現在の警察における被疑者取調べについては、過去の無罪事件等を教訓とし、様々な改善が積み重ねられており、現行の犯罪捜査規範のほか、「被疑者取調べの適正化のための監督に関する規則」(平成20年4月国家公安委員会規則第4号)、「警察捜査における取調べ適正化指針」(平成20年1月警察庁次長通達)、「捜査手法、取調べの高度化プログラム」(平成24年3月警察庁次長通達)等の規定により、取調べの組織的な管理と自浄機能の強化に努めるとともに、各種教養機会を通じて取調べに従事する全ての警察官に対する必要な指導教養がなされているほか、令和元年6月の刑事訴訟法等の一部を改正する法律の施行により、裁判員裁判対象事件等で逮捕又は勾留されている被疑者の取調べを行うときは、任意性の立証等に資するため、録音・録画が義務付けられているなど、適正化の取組を継続している。
(2) 5点の衣類及び端切れのねつ造
ア 5点の衣類のねつ造
(ア)判決における指摘の要旨
(みそ醸造タンクの中から約1年後に発見された)5点の衣類には、いずれも、観察した者に赤みを感じさせる血痕が付着しているが、1年以上みそ漬けした衣類に赤みが残るとは認められず、5点の衣類は事件直後にみそタンクに入れられたものではなく、その発見から近い時期に被告人以外の者によってタンク内に隠匿されたものであり、本件犯行着衣ではないと認められる。
そして、5点の衣類を犯行着衣としてねつ造した者としては、捜査機関の者以外に事実上想定できず、捜査機関において5点の衣類のねつ造に及ぶことを現実的に想定し得る状況にあったこと等も併せ考慮すれば、5点の衣類は、本件犯行とは関係なく、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、その発見から近い時期にみそタンク内に隠匿されたねつ造の証拠であると認められる。
(イ)確認結果
判決は、(1)1年以上みそ漬けした衣類に赤みが残るとは認められず、5点の衣類は本件犯行着衣ではないと認められること、(2)5点の衣類は、その発見から近い時期に被告人以外の者によって1号タンク内に隠匿されたものであり、犯行着衣としてねつ造した者は捜査機関の者以外に事実上想定することができないこと、(3)捜査機関においてねつ造に及ぶことを現実的に想定しうる状況にあったことを指摘して、5点の衣類が捜査機関によってねつ造された証拠であると認められるとした。本事実確認においては、このうち(2)及び(3)の指摘を踏まえ、警察官がねつ造を行ったことを窺わせる具体的な事実や証言の存否を確認することとした。
元捜査員から聞き取りを行った結果は別添1に記載のとおりであり、いずれの者からも、警察官が5点の衣類のねつ造を行ったことを窺わせる具体的な事実や証言を得ることはできなかったが、一方で、そのようなねつ造が行われなかったことを明らかにする具体的な事実や証言を得ることもできなかった。これは、聞き取りを行った元捜査員は、いずれも当時若く巡査の階級にあり、捜査活動の中心的な立場にいたものではないこと、また、現場付近の聞き込み、検証、捜索等に従事したものの、証拠品の管理など、5点の衣類に関わる捜査活動を担当していなかったこと等によるものと考えられる。
なお、判決は、(2)のとおり、5点の衣類について、その発見から近い時期にみそタンク内に隠匿されたと指摘したところ、犯行直後のみそ製造工場の捜索に従事した元捜査員のF氏から当時の状況についての証言が得られた。F氏からは、「みそ製造工場内の三角室西側室の捜索に従事した(この点については、当時の事件記録にも記載されている。)」「自分の捜索範囲を終えた後にみそタンク内のみその表面を櫂でつついた、みそが固くて掻き回すことはできず、上からつつくのが精一杯だった」旨の証言があったが、捜索時点におけるみその中の5点の衣類の存否を判断することができる証言とは認められなかった。
また、警察官がねつ造を行ったことを窺わせる具体的な事実や証言の存否を確認するために元従業員から聞き取りを行った結果は別添2に記載のとおりであり、いずれの者からも警察官が5点の衣類のねつ造を行ったことを窺わせる具体的な事実や証言を得ることはできなかったが、一方で、そのようなねつ造が行われなかったことを明らかにする具体的な事実や証言を得ることもできなかった。
なお、みそタンク内の捜索が事件発生当時詳しく行われなかった経緯として、当時のみそ製造技師は、「(本件発生当初の昭和41年7月4日に行われたみそ製造工場に対する捜索の際に)捜索の現場指揮官である清水警察署刑事課長から、みそを全部移し出して中を調べるという警察の方針を伝えられた」「専務等が亡くなり、従業員の精神状態が乱れている中、商品が出荷できなくなって市場が他社に取られることになれば会社は立ち直れないと従業員やその家族のことを考え、「現在の段階において全部捜査すれば、会社は完全に営業が出来ない」「商品としての価値はなくなる」と反対し、認めてもらった」旨証言し、刑事課長は、「従業員からやめてくれという申込みがあったことと商品であるということなどから、できる範囲においてなるべく品物を損なわない範囲で検索をやれと指示したため、詳しく調べなかった」旨証言している。
イ 端切れのねつ造
(ア) 判決における指摘の要旨
昭和42年9月12日の袴田氏の実家に対する捜索(以下「本捜索」という。)において、端切れを発見した警察官は、5点の衣類のうちの鉄紺色ズボン(以下「ズボン」という。)と「同一生地同一色」と認め、これをズボンの共布として押収したとのことであるが、ズボンの現物は、「濡れて固くなり、しわまみれ」という状態で発見され、発見翌日の同年9月1日には鑑定資料として送付されているところ、一見して状態が違う端切れを発見した警察官が、その場でズボンと「同一生地同一色」と判断することは甚だ困難であったと思われる。
また、発見された端切れをズボンの共布と判断するならば、経験則に照らしてもう1枚の共布の存在が想定されて然るべきなのに、それを立会人に尋ねた形跡がなく、一方で、一見して共布とは判別できないような端切れを押収しておきながら、左右一組であったはずの共布のもう1枚の所在を尋ねないことは、本捜索をした警察官としては矛盾する対応であり、不自然さを通り越した不合理な捜査活動と言わざるを得ず、被告人の実家から押収されたという端切れが、捜査機関の者による持込みなどの方法によって本捜索以前に被告人の実家に持ち込まれた後に押収されたと考えなければ、説明が極めて困難である。
5点の衣類が捜査機関によってねつ造された証拠と認められることと併せ考慮すると、5点の衣類と被告人を結び付けるという端切れも、捜査機関によってねつ造されたものと認めるのが相当である。
(イ) 確認結果
判決は、(1)一見して状態が違う端切れを発見した警察官が、その場でズボンと「同一生地同一色」と判断したこと、左右一組であったはずの共布のもう1枚の所在を尋ねなかったという経緯等から、押収された端切れは、本捜索以前に袴田氏の実家に持ち込まれた後に押収されたと考えなければ、押収された経緯の説明が極めて困難であること、(2)5点の衣類が捜査機関によってねつ造された証拠であると認められること等を指摘して、ねつ造された5点の衣類と袴田氏を結び付けるという端切れも捜査機関によってねつ造されたものと認めるのが相当であるとした。
このうち、(2)の指摘について、警察官が5点の衣類のねつ造を行ったことを窺わせる具体的な事実や証言の存否を確認した結果は、上記ア(イ)のとおりである。
(1)の指摘について、判決が指摘した押収の経緯の背景には、当時の事件記録等の再確認の結果、昭和42年8月31日に発見された5点の衣類の一つであるズボンについては、共布により当て布がされていたこと、同年9月4日に県警本部法医理化学研究室から鑑定を嘱託していたズボンの払出しを受けていたこと及び同年9月4日又は5日、製造元会社にズボンを持ち込んだ上でサンプル生地を入手していたこと(同サンプルは同年9月11日に捜査報告書に添付して送致されている。)があるものと推察されるところ、こうした経緯も含め、警察官がねつ造を行ったことを窺わせる具体的な事実や証言の存否を確認するため、元捜査員から聞き取りを行った結果は別添1に記載のとおりであり、いずれの者からも、警察官が端切れのねつ造を行ったことを窺わせる具体的な事実や証言を得ることはできなかったが、一方で、そのようなねつ造が行われなかったことを明らかにする具体的な事実や証言を得ることもできなかった。これは、聞き取りを行った元捜査員は、いずれも当時若く巡査の階級にあり、捜査活動の中心的な立場にいたものではないこと、また、現場付近の聞き込み、検証、捜索等に従事したものの、袴田氏の実家の捜索や証拠品の管理など、端切れに関わる捜査活動を担当していなかったこと等によるものと考えられる。
ウ 確認結果を受けた考察
5点の衣類及び端切れについて、元捜査員等関係者への聞き取りを行った結果、警察官が5点の衣類及び端切れのねつ造を行ったことを窺わせる具体的な事実や証言を得ることはできなかったが、一方で、そのようなねつ造が行われなかったことを明らかにする具体的な事実や証言を得ることもできなかった。また、当時の事件記録等に記載されている警察の捜査活動の内容を再確認したが、その結果も同様であった。
一方、本件において、みそ製造技師の反対があったにせよ、事案の重大性にもかかわらず、事件発生当時にみそタンク内の状況を明らかにしていなかったことは、結果として捜査が不十分であったと言わざるを得ない。約1年後に発見された5点の衣類について、その投入の時期や主体、事件との関係がその後の裁判で大きな争点となり、鑑定や実験が繰り返されたことにより、再審公判が長期にわたることとなった上、最終的には、捜査機関によるねつ造が認定されることにつながった要因の一つは、捜査の初期段階におけるこの捜査活動の不徹底にあったことは、真摯に受け止める必要がある。改めて初動捜査の重要性を認識させる教訓とすべきである。
2 弁護人接見について
(1)判決における指摘の要旨
被告人は、任意出頭日に逮捕され、接見禁止を伴う勾留がされていたにもかかわらず、自白に至るまでの弁護人との接見は3回、合計約40分にとどまり、その初回接見の内容は全て録音されていた。
このような取調べの態様及び経過等を考慮すれば、被告人が警察官にした自白は、黙秘権を実質的に侵害し、虚偽自白を誘発するおそれの極めて高い状況下で、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得したものと認められ、刑事訴訟法第19条1項の「強制、拷問又は脅迫による自白」であって、「任意にされたものでない自白」に当たることは明らかである。
(2)確認結果
当時の留置人出入簿によれば、逮捕から自白に至るまでの間に行われた弁護人接見は、(1)昭和41年8月22日に約10分間、(2)同年8月29日に約10分間、(3)同年9月3日に約15分間の3回であったことが確認され、更に、取調べ録音テープにより、(1)の接見内容を録音したものと思われる音声が残されていることが判明した。録音された場面は、袴田氏の実兄から依頼を受けた弁護士が刑事訴訟法にいう「弁護人となろうとする者」として、清水警察署の取調べ室において行われた初回接見と思われ、自己紹介や服の差し入れ等に関する約5分間のやり取りの音声が確認できる。
(3)確認結果を受けた考察
本件捜査が行われた昭和41年当時は、現在とは異なり、留置場の運営を刑事課が行っており、また、当時の清水警察署は昭和14年に建てられた庁舎で、弁護人接見を行うための専用の部屋がなく、当時の庁舎で勤務した元警察官らの記憶によれば、留置場に隣接した取調べ室や鑑識係の写場において弁護人接見が行われていたとのことである。当該初回接見が行われたのは、まさにその留置場に隣接する取調べ室で袴田氏の取調べが行われていた時期に当たり、当該初回接見より前に行われた取調べを録音したと思われる録音テープも存在すること等を併せ考察すると、録音装置が設置されている取調べ室において当該初回接見が行われたものと思われる。
刑事手続において弁護人との秘密交通権は、身体の拘束を受けている被告人又は被疑者に保障されるべき防禦権の最たるものであり、警察がこれを侵すこととなったことは、被疑者勾留そのものの正当性を阻却し、ひいてはその勾留中に行われる捜査活動によって得られる証拠全ての信用性に疑義を生じさせかねない重大な違法であり、当県警察としてはこれを重く受け止め、深く反省するとともに、今後の適正捜査に向けた教訓としなければならない。
なお、現在の警察においては、昭和55年から留置業務を捜査部門から切り離し、捜査実務に携わることのない総務・警務部門を所掌とするいわゆる「捜留分離」を運用しているほか、警察庁から示された留置施設の設計基準により、全ての警察署に独立した面会室を整備するなど、適正化の取組を継続している。
3 その他
起訴後に清水郵便局内で発見された封筒に在中していた紙幣18枚について、判決は、捜査機関の者によってねつ造されたものであることが強く疑われるとしつつも、本件紙幣等の送付が捜査機関の者によるものであるという直接的な証拠は見当たらず、また、当該紙幣等の送付が捜査機関の者によるものでないとするならば説明が極めて困難であるとはいえないことから、本件紙幣等を捜査機関の者がねつ造したとまでは認められないと指摘している。
今回の事実確認においては、警察官が本件紙幣等のねつ造を行った可能性も念頭に、元捜査員等関係者への聞き取りを行った結果、いずれの者からも、警察官が本件紙幣等のねつ造を行ったことを窺わせる具体的な事実や証言を得ることはできなかったが、一方で、そのようなねつ造が行われなかったことを明らかにする具体的な事実や証言を得ることもできなかった。また、当時の事件記録等に記載されている警察の捜査活動の内容を再確認したが、その結果も同様であった。これは、聞き取りを行った元捜査員は、いずれも当時若く巡査の階級にあり、捜査活動の中心的な立場にいたものではないこと、また、現場付近の聞き込み、検証、捜索等に従事したものの、被害品の捜索や証拠品の管理など、本件紙幣等に関わる捜査活動を担当していなかったこと等によるものと考えられる。
第5 判決では指摘されなかった事項
判決においては指摘されていないが、当県警察で保管されていた本件に関する重要な資料である5点の衣類に関するカラー写真のネガフィルム及び取調べ録音テープが検察庁からの調査依頼時に発見されなかった点について、その経緯についても事実関係を確認することとした。
1 5点の衣類に関するカラー写真のネガフィルムについて
(1) ネガフィルムが検察庁からの調査依頼時に発見されなかった経緯
当該ネガフィルムについては、平成22年9月に検察庁から初めて調査依頼がなされ、県警本部刑事企画課の担当者らは、保管されている可能性がある清水警察署のほか、県警本部刑事部内関係所属等へ赴いてネガフィルムの保管場所等を検索し、当時の捜査員に聞き取りを行うなどの調査を行ったが、その際には発見されなかった。
(2) ネガフィルムの発見経緯
再審開始決定後の平成26年5月30日、県警本部清水分庁舎地下倉庫において、県警本部鑑識課文書管理担当職員が、県警本部警務部から発出された通達に基づき保管文書の一斉点検を行っていた際、同倉庫内に積まれていた約70箱の段ボール箱内在中の文書を全て取り出して確認したところ、「清水市横砂こがねみそ強盗殺人放火事件」と書かれた古い写真ネガ綴りがあり、同綴り内にあった当該ネガフィルムを発見した。
(3) ネガフィルムに関する考察
当時はネガフィルムの保管管理に関する規定がなく、また、県警本部鑑識課は、本件発生当時から現在の県警本部清水分庁舎に至るまで2度にわたって移転しており、当該ネガフィルムが発見された段ボール箱はガムテープで封印され、開披されることのないまま長年にわたり地下倉庫に所在していたものと思われる。また、検察庁からネガフィルムの調査依頼を受けた際、当該ネガフィルムが在中していた写真ネガ綴りが他の書類等に紛れていることは想定せず、ネガフィルムの保管場所等を中心に検索していたことも発見されなかった要因となったが、整理整頓がなされていればこのような事態にはなっていなかったと認められる。
なお、現在では、「現場写真等の原板取扱要領」(平成18年1月本部長通達)により、ネガフィルムに関する統一的な規定が示されており、厳格な保管管理が徹底されており、適正化の取組を継続している。
2 取調べ録音テープについて
(1) 取調べ録音テープが検察庁からの調査依頼時に発見されなかった経緯
当該取調べ録音テープについては、平成23年8月に検察庁から初めて調査依頼がなされ、県警本部刑事企画課の担当者らは、県警本部刑事部内関係所属及び清水警察署を検索するも、その際には発見されなかった。
(2) 取調べ録音テープの発見経緯
再審開始決定後の平成26年10月20日、検察庁から録音テープ等の徹底的な調査を依頼され、清水警察署の倉庫内を再検索したところ、他の未解決事件に関する記録等の保管場所から、「袴田」「事件」と各々記載された段ボール2箱を確認し、それぞれにオープンリール型テープ12巻が在中しており、計24巻を発見した。
(3) 取調べ録音テープに関する考察
発見されたオープンリール式テープは、未使用のものもあるが、そのほとんどが一度録音した音声の上から、別の取調べの音声が重ね録りされている状態であることからも、当初から証拠として使用する意図はなく、後から聴き直して捜査の参考とするなどの目的で録音していたものと推察される。
このため、当該取調べ録音テープは、証拠物件として保管管理すべき対象と捉えず、整理整頓もなされないまま、2度にわたる清水警察署の庁舎建て替え、人事異動等によりその存在を知る者がいなくなり、倉庫内に他事件の資料に紛れて所在していたものと認められる。
なお、現在では、刑事訴訟法や犯罪捜査規範等により、取調べの録音・録画に関する明確な規定が示されているほか、録音・録画した記録媒体についても、規定に則って捜査資料として取り扱い、全て検察庁へ送致することとなっているなど、適正化の取組を継続している。
元捜査員 |
聴取結果要旨 |
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A 当時 巡査・警察署員 |
・発生から捜査本部に招集され、日ごとに下命を受けて捜査に従事した ・担当した捜査でよく覚えているのは「くり小刀」の捜査のため、富士町や吉原町へ行ったこと ・捜査で発生現場やみそ工場に入った覚えはない |
B 当時 巡査・警察署員 |
・発生から捜査本部に招集され、現場周辺の聞き込み等に従事した |
C 当時 巡査・警察署員 |
・(発生から捜査本部に招集され、)現場の検証に従事し、図面作成を担当した |
D 当時 巡査・警察署員 |
・発生から捜査本部に招集され、現場周辺の聞き込み等に従事した |
E 当時 巡査・警察署員 |
・発生から捜査本部に招集され、現場周辺の捜索や聞き込み等に従事した |
F 当時 巡査・警察署員 |
・発生直後のみそ工場の捜索に従事し、工場出入口にある三角部屋の西側の部屋を担当した |
元みそ工場従業員 |
聴取結果要旨 |
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G |
・他の従業員が5点の衣類を発見した際、私も見たが薄めの茶色で明らかに血痕が付いているのが分かった ・袴田氏逮捕から約1か月後、袴田氏の部屋の荷物をまとめ、全部実家へ送った。その際、刑事さんも立ち会っていたが、その刑事さんは荷物に触れず、切れっ端(共布)があったかどうかは覚えていない ・被害者の専務は地元消防団の団長をしていたので戸締まりや火の始末にはうるさく、みそ工場の戸締まりはしっかり行っていた |
H |
・高卒後の18歳から22歳まで勤務し、経理を担当していた |
I |
・昭和39年頃から2年間勤務し、みその製造を担当していた |
J |
・高卒後の18歳から結婚した23歳まで勤務し、経理を担当していた |
K |
・営業を担当しており、みそ工場に出入りすることは頻繁ではなかった |
L |
・みそ工場の施錠状況は出入口はかんぬきで扉を閉めるのみで鍵はなく、事件後も工場に鍵を付けることはなかった |